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三峡沿いの名所で下船観光
三峡下りの観光船は、途中の史跡や名所に何時間も停泊し、
乗客は下船観光してまた船に戻ってきます。

鬼城

これは地獄の入口の門です。
死んだ人はここに来るのだそうです。
この門では地獄への入国審査があるので、
死人パスポートが要るそうです。
豊都(フェンドゥー)という街で深夜に乗船したのですが、目がさめてもまだ同じ所に停まったままでした。
朝ごはんのあと、船を下りて「鬼城」という所へ行きました。

なんとここは、地獄なのであります。ちゃんとエンマさまも、いました。
じつは昔、この山で「陰さん」と「王さん」という2人のお坊さんが修行していたそうなのですが、
中国ではエンマ様のことを「陰王」というので、いつのまにか、
「あの山にはエンマ様がいるそうだ、あそこは地獄なんだそうだ」というウワサが広まってしまったのだそうです。

狛犬まで地獄仕様で、胸にドクロの鈴がついています。
この豊都の街で印象的だったのが、なんと、街をすべて破壊して、瓦礫の山になっているのです。
それは、この街がダムの完成によって湖底に沈むからなのです。

高いビルが湖底にあると、船の航行のジャマになるというので、水没する街はことごとく破して平らにするんだそうです。
僕は何か切なくなってしまいました。

豊都はいま、対岸の高台に新しい街を建設しています。

瓦礫の山となった豊都の街。
これは今しか見られない風景です。

白帝城
奉節という街にある白帝城(はくていじょう)にも下船観光しました。
ここは李白の漢詩でも知られますが、なんといっても三国志の主人公・劉備(りゅうび)が亡くなった場所として有名です。

劉備は、四川の地に「蜀」という国をつくり、「魏」の曹操、「呉」の孫権らと戦いを繰り広げていました。
西暦208年の赤壁の戦いでは、呉と同盟を組み、一発大逆転で魏を撃退します。
その後も呉との同盟は続きますが、劉備たちが遠征している間に、
城を守っていた関羽という人が呉に攻められ戦死してしまいます。

この関羽という人は劉備と兄弟の誓いを交わして若い頃からずっと一緒に戦ってきた大親友です。
劉備は復讐のために呉を攻撃しますが、逆にコテンパンにやっつけられて命からがら逃げ帰ってきます。
そして失意のなか、ここで病気になり亡くなりました。

劉備は自分の死期を悟り、諸葛孔明(しょかつこうめい)という人に自分の子供達の面倒を見てくれるように頼むのです。
これは三国志の物語の中でももっとも悲しいシーンです。
このとき劉備は臣下の諸葛孔明に向かって、
「もしも、自分の子供が皇帝にふさわしくない人間だと分かったら、遠慮せず君が皇帝になってくれ」と言ったそうです。

劉備の人気の秘密は、このように自分の個人的なことよりも、
世の中の人々の幸せを優先したところだとよく言われます。
そして諸葛孔明が人気なのも、その気になれば自分が皇帝にカンタンになれたであろうに、
生涯、劉備への忠誠をつらぬき、2代目の補佐役に徹したところだとも言われます。

800段の階段を上って白帝城に入ると、まずこのワンシーンを人形で再現したお堂があります。

観星亭
僕がここで特に興味を持ったのは、「観星亭」という楼閣です。
これは、諸葛孔明が星を観測した建物だと言われます。

しかし、写真を見ていただければすぐ分かりますけれども、
この建物の中に立つと、普通に屋根があるので星はよく見えないはずです。
僕は、きっと天体観測というよりは、気象観測をしたのだと思います。

星そのものを見たのではなく、星の見え方によって大気の状態を察し、天気予報をしたのだと思います。
諸葛孔明はとにかく博学な人で、
ふつうの人ならまず見のがすような、ささいな自然現象から将来を予言し、言い当てました。
赤壁の戦いでは、風向きが変わるのを予知して、
追い風になった一瞬をついて、火で包まれた船を敵に突っ込ませて大勝利をおさめました。

諸葛孔明は、きっと星座も知っていたし、星を見て方角や時刻を知るなんて朝飯前だったと思います。
ぼくはこの建物の中に入ったり周りを歩いたりしながら、いろんな想像をしました。
史跡を訪ねたときには、そういう時間の過ごし方が、ぼくは大好きです。

神農渓
神農渓(しんのうけい)という所では、小さな船に乗り換えて長江の支流をさかのぼるツアーがありました。

ここは本当にすごいです。狭い渓谷の両側は、垂直の崖がずっと上まで続いています。
船は、土家(とか)族という少数民族の人々が操っています。
6人一組で、岸辺に上がって船を引っ張ったり、岩壁を棒で押したりして、さかのぼって行くのです。

この渓谷もダム湖の底に沈みます。
岸辺に住む人々は、政府から補助金をもらって、
高台に新しい家を作りました。
あの家々のすぐ下まで水がくるのだそうです

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