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三峡下りの終点の街「宜昌(イーチャン)」

これは宜昌駅前の交差点です。マクドナルドもあります。
とにかく人が大勢いました。

ホテルから駅まで散歩しました。
駅前の広場には何千人もの人が列車を待っていました。
駅の売店で缶ビールを買いました。
宜昌という街は、長江のほとりにあります。

もともと、この街に行く予定はありませんでしたし、名前すら知りませんでした。
僕は、重慶から武漢まで、ずっと船で行けると信じていたのですが、ダムがほぼ完成して通れなくなったとかで、
ダムの上流の「茅坪(マオピン)」という街で船を下ろされてしまいました。
武漢まではまだ400kmくらいありました。

武漢から北京までの飛行機の切符を買ってあったので、なんとか武漢まで行かないといけないのでした。

船会社の人が、「降りてからの交通手段は用意してるのか?」と聞くので、
「いや、何も考えてない。どうしたらいいすかね」と答えると、
「バス停まで送ってあげるから、バスで宜昌へ行け。そこからまたバスで武漢まで行け」と言われました。
宜昌まで1時間、そこから武漢までさらに4時間だと言います。不安で気が重くなりました。

しかし、ドイツのカップルがタクシーで宜昌まで行くというのを聞いて、僕らもタクシーを呼んでもらいました。
それでとりあえず宜昌へたどりつき、この街で1泊することにしました。

三遊洞

右側の岸の崖に洞窟があり、
その中にたくさんの詩碑がありました。
宜昌の郊外に「三遊洞」という洞窟があります。
「三遊洞」という名前は、有名な3人の詩人がここで遊んだことに由来します。
ここは長江に支流が合流する大変美しいところですので、昔から詩人がたくさん集まってきて、詩を作ったそうです。
洞窟の中には詩碑がいっぱいあたのですが、僕は漢詩には疎いので、よく分かりませんでした。
白居易という詩人の名前はきいたことがあるような気がしました。

しかし、ここからの長江の眺めは素晴らしく、息を呑みました。
崖の上から、峡谷を流れてきた長江が平野に出て、一気に川幅を広げる様子が見えました。

長江を望むこの高台で、三国志の英雄・張飛が
兵士を鼓舞するために太鼓を叩いたと言われます。

ガイドの徐飛さん
この三遊洞に行くにあたって、ガイドさんを頼みました。
ホテルのフロントに相談すると、「今からとなると、英語がちょっと話せるガイドしかいない。」と言われたので、
「それでいいです。お願いします。僕も英語はちょっとしか分かりませんから。」と言いました。

すると、僕よりも全然英語の上手な青年がやってきました。
彼は名前を徐飛さんといい、武漢市の大学に通う22歳の学生です。
いま春休みで、武漢から故郷の宜昌に戻って来ているのだそうです。

登録制の学生ガイド協会みたいなのがあって、
ホテルの宿泊客からガイドの要請があると、呼び出し電話がかかってくるのだと言っていました。

この徐さんという人物は、たいへん素晴らしい人物でした。
誠実で親切で、歴史をよく知っていました。

これまで僕が中国で出会った人々の中には、素晴らしい人も大勢いましたが、
日本人の感覚からすると、旅行者をダマしてお金を余分に取ろうとしたりする狡猾な感じの人も多かったのです。
しかし、彼に会って、僕の中で、何か根本的な、ものの見方が変わりました。

彼に三遊洞を案内してもらっている数時間は、ほんとうに楽しい時間で、いろんな話をしました。
僕は中国の歴史がとても好きなので、歴史の話で盛り上がりました。
皇帝や王朝の名前は、中国語の発音が分からないので漢字で書くとすぐ通じました。
世界は広いけど、つながっているなあと思いました。

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