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SOUTHERN CROSS
サザン・クロス−南十字星−という名前の小さな町があります。
オーストラリア西部で金鉱が発見され、ゴールドラッシュに沸いた100年前には何千人もの人が住んで栄えましたが
いまはほんとうにひっそりとした静かな町です。

僕がこの町へ来たのは本当に偶然でした。

シャーク湾を出発した日は、がんばってパースの近くまで走って、
日が暮れたら宿を見つけて泊まろうと思っていました。
しかし意外と順調に進んで、パースを通りこしてだいぶ東へ走ったところで日暮れになったので
地図でサザンクロスという名前を見てどうせなら話のネタに南十字星という町に1泊してみようと思いました。

そこで、町の入口にある案内板で市街地図を何気なく眺めていたら僕はスゴイことに気がつきました!!!
なんと、町の中にある通りの名前が、ことごとく星や星座の名前だったのです!!

アンタレス通りに、カノープス通り、アケルナル通り、シリウス通り、スピカ通り、リゲル通り
他にも、みんな星の名前でした。

僕はとても興味が湧いてきて、これは1泊だけで通り過ぎてしまうわけには行かないと思い、
オリオン通りとアンタレス通りの角にある安宿に行き受付のお姉さんに
『すいません、部屋は空いてますか。2泊したいです。』と言いました。

その日はもう夜になったので、次の日にまる一日かけて、この町を隅々まで歩いて探検しました。

南十字星のマークは
サザンクロスの街のいたるところで見られました。
これはテレセンターです。

これはアンタレス通りと
てんびん座通りの交差点です。

カノープス通りとアルタイル通りの交差点には
売店があったので
ここでオレンジ味の炭酸飲料を買って飲みました。
この日もとても暑かったし、
一日じゅう歩き回っていたのでイッキ飲みでした。

僕は、
この宇宙にアンドロメダ・シティという場所が
ほんとうにあって
しかもこんな牧歌的なところだとは
夢にも思いませんでした。

これが、僕がサザンクロスの町で2泊した
パレス・ホテルです。
オリオン通りとアンタレス通りの角にあります。

オーストラリアには、
『パブに泊まる』という文化があります。
酒場の2階に旅人を泊めるのです。

金鉱地帯の町にはこうしたパブがたくさんあり、
2000〜4000円くらいで泊まれます。
シャワーとトイレは共同で
建物が古いわりに、内装が豪華で天井も高く
昔の雰囲気を感じます。
僕はサザンクロスとレイベンズソープという町で
こういうところに泊まりましたが、
オーストラリアという国を知るには
パブに泊まるのが一番だという感想を持ちました。

メインストリートのアンタレス通りには
ゴールドラッシュの100年前に作られたと思われる
古い建物がたくさんありました。

街の南にある
レイク・ポラリス(北極星湖)は
残念ながら干上がってました。

このジャリ道は、カストル通りです。
今はこんな感じですが
ゴールドラッシュで栄えていた100年前には、
鉄道の線路の両脇に
『カストル通りとポルックス通りが平行』して
走っていました。

カストルとポルックスというのは
双子座の兄弟の名前で、
それぞれの頭で輝く星の名前でもあり
素晴らしいネーミングだと思いました。

ここを通っていた鉄道はもう
あとかたもありませんでした。
サザンクロスの町はとても小さく、30分もあればゆっくり町の端から端まで歩けてしまう感じでした。

いろいろと歩いて見ているうちに、僕は、どうしてこの町に南十字星という名前がついたのか、
どうして通りの名前がぜんぶ星や星座の名前なのか、知りたくなりました。

そのナゾは、アンタレス通りにある小さな博物館で分かりました。
展示と解説によれば、
西暦1888年にこの地域で金を発見した二人の男が南十字星をたよりに方角を知り、
砂漠を旅する道しるべとしたのでこの地をサザンクロスと名づけた、ということです。
(南十字星のタテの棒を5倍のばすと、真南の方角が分かるのです)

町の北部にある『星座公園』は広い芝生に木陰があって
とても気持ちの良い公園でした。

サザンクロスの人たちは
絵を描くのがとても好きなようでした。
これはアンタレス通りにある壁画です。
僕はこの絵の中にも南十字星を見つけました。

学校の図書館には
パースから金鉱地帯へ水を送るパイプラインを
描いた素晴らしい壁画がありました。

これはサザンクロス駅です。
町から離れたところにあって
相模線の無人駅よりもっと小さかったです。

サザンクロス駅がほんとうにあったなんて
宮澤賢治さんは知っていたでしょうか。
博物館はとても小さくて、お昼になったら
受付の番をしていた老夫婦が戸締りをしてランチを食べに行くというので、まだ見学の途中なのに追い出されてしまいました。

で、午後に続きを見学しようと思ってまた行ったら、
こんどは別の女性が受付に座っていて、『ハイようこそ。入場料を、、、』と言うので、
『すいません、午前中に老夫婦に払ったんですけど、、』と言ったら『あらそう、そりゃ失礼。』といって、入れてくれました。

ところで、
展示室の一角に、『世界のお金』というコーナーがあって、
世界中のいろんな国のコインや紙幣を集めたショーケースがありました。
当然ぼくは、日本のお金はあるかなーと思って探したのですが非常に衝撃的なものを見つけてしまいました!!

『日本のお金』の所には、僕が見たこともない
第二次世界大戦の時の紙幣と、大正時代のコインが展示されていました。

そして、解説文には
『侵略のお金−オーストラリア人が日本軍に捕虜として捕まったとき、
収容所でこのお金を使わされました。』と書いてありました。
僕はビックリして、その紙幣をよく見ると、
漢字で『大日本帝国政府』、英語で『ジャパニーズ・ガバメント(日本政府)』、『1ポンド』
などと書いてありました。
僕はこんなお金を生まれて初めて見たし、歴史の授業でも習いませんでした。
そして、だんだんヤリキレナイ気持ちになってきました。

オーストラリアには、日本という国を『世界で唯一、オーストラリアに爆弾を落として国民をおおぜい殺した国』
と認識している人もいると聞いたことがありますし、
オーストラリアにホームステイして、ひどい差別的な扱いを受けた日本の若者の話も聞いたことがありました。

しかし、他の国々のお金は現在のものが並んでいるのに
日本だけ半世紀いじょうも昔のものしか展示されていないというのはどうにも悲しい気がしたので
受付の女性に
『すいません、もし僕が今ここで、現在の日本で使われているお金を寄付したら、あのショーケースに並べて頂けますか』
と言いました。
そしたら彼女は、『それはたいへん感謝します』というので、僕はお財布から千円札を出して渡しました。

もしあなたが、サザンクロスの町の、アンタレス通りに面した小さな博物館を訪れて
『世界のお金』という展示の中に千円札を見つけたら、
それは日本という国がこの町の人に少し受け入れられたということで、
僕が成田空港から茅ケ崎まで帰る電車賃を気にしながら、寄付をしてきた甲斐があったというものです。

もしも無かったら、日本がまだそういうふうに思われているか、受付の女性が忘れっぽい人だということになります。

駅の近くにある墓地です。
僕は墓碑の一つ一つを
ゆっくり読んで、涙が出てきました。
ところで展示品の中には、古いピアノがあって
『西暦1900年にマクレア家に所有され、家庭や、教会のお祈りのときに演奏された』と説明書きがありました。

僕はとても興味を引かれたので、さっきの受付の女性に
『すいません、僕は日本でピアノを弾いてます。一応プロなんです。あのピアノ弾いてもいいですか。』と言うと、
『あら、たぶんいいんじゃないかしら。どうぞ。』とのことだったので、フタを開けて弾いてみました。
ピアノには、灯りのためにロウソクを取り付けるアームが左右に2つあって、時代を感じさせました。

でも、その音色はあまりにヒドイもので
ピアノというのは100年くらい調律しないとこんなにヒドくなるものかと、返って感動しました。
もはや音階というものがありませんでした。

しかし僕は、その象牙の鍵盤をたたきながら、
この町が活気に満ちていた100年前にタイムスリップして、
酒場のピアノ弾きになった気分で、とても幸せでした。これは本当に思い出に残る体験でした。

博物館の見学者は僕だけで、受付の女性とはだいぶ打ち解けたので、
僕がいちばん聞いてみたかった質問−この町の通りがぜんぶ星の名前なのは
町ができた100年前からそうだったのか、それとも最近のことなのか−と聞いてみました。
そしたら彼女はキッパリと『この町が始まったときから、通りの名前は今と同じです−。』と答えました。

南十字星という町の名前も、星の名前がついた通りも、たいへん歴史あるものでした。
これらの名前は、決してシャレでつけたのでも、
町おこしで日本の天文ファンの観光客を呼ぼうとしてつけたのでもなく、
生きるために新天地を求めて砂漠にやってきた人々の、切実な願いと希望が込められた名前だと僕は思います。

僕は郊外の墓地へも行きました。そして、その墓碑の一つ一つを丁寧に読む時間がありました。

西暦1890年代や、1900年頃に
20代や30代や40代など、非常に若い年齢で亡くなっている人がけっこういるのです。
生まれたばかりの赤ちゃんのお墓も、いくつもありました。
この砂漠には、水が無かったのです。
人々は、金を探すのと同じように水を探したと言われます。
きっと大勢の人が、病気や、事故で死んでいったのだと思います。

僕には、荒野の旅路を導いた南十字星を町の名し、
通りに星の名前をつけていった人々の気持ちを想像してすこしだけ分かるような気がしました。
オーストラリアには歴史が無い、なんて言う人もいますが、
こうして懸命に生きた人々の足跡が歴史でなくて一体なんでしょうか。
僕は、オーストラリアには、素晴らしい歴史があると、このときハッキリ知りました。

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