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アムステルダム AMSTERDAM

この写真は、アムステルダム市内の『西教会』の塔の上からの眺めです。
アムステルダムは、運河に沿って可愛らしい家々が立ち並ぶ美しい街。
サチコネエサンはとても気に入ったらしく、『街じゅうがテーマパークみたいだ!』と、ずっと言っていました。

南アフリカのヨハネスブルグを深夜に飛び立った僕たちは、翌朝アムステルダムの国際空港に降り立ちました。
途中、アルプス山脈の上空を飛んだので、マッターホルンのカッコいい姿を空から見ることができて感激しました。
 

オランダでは、まず異常な物価の高さに驚きました。

これは僕たちが1週間滞在したフリッパー・ホテル。
フレンドリーな中国系の家族が経営する、
良い宿でした。

トイレもシャワーも無いこの小さな部屋が
一泊13000円もします。
しかしこの値段は、
アムステルダムでは最安値に近いと思います。
サチコネエサンがインターネットで散々探して
一番安い宿を予約しました。

オランダ滞在中によく食べた野菜ラーメン。
スーパーでキャベツやネギやハムを買い、
電気ナベで煮たところに
インスタントラーメンを入れます。

スープの味に野菜の濃厚な甘味が加わり
本当に美味しかったです。

ファストフードのハンバーガーセットなどでも
1000円近くしてしまうので、
オランダではこういう食生活が中心でした。

市内には
網の目のように運河が張り巡らされています。
街の風景のどこを切り取っても絵になります。

毎日乗った路面電車。
駅の名前がとても難しいので、
路線図とにらめっこして緊張しながら乗ってました。

オランダ語は発音が難しく、そしてとにかく
一つの単語がやたら長い!!!
アルファベット15個くらいの単語も普通にあります。

僕たちには文字の羅列にしか見えないし、
読むことすらままなりません。
でも人々はみんな英語で話すので、
オランダ語を話す必要は全くありませんでした。

アムステルダムで楽しみにしていたのは国立美術館。
大好きなレンブラントと
フェルメールの絵が多く見られて感激です。

レンブラントは、暗闇の中でスポットライトのように
人間に一条の光をあてます。
フェルメールは、庶民の日常の中にある
崇高な意味や価値を見事に描き出します。
この二人の『描き方』は、
僕の歌作りにもすごく影響を与えていると思います。
彼らは僕の『音楽の先生』です!

市内にある、レンブラントのアトリエにも訪れました。
とても良かったです!

なぜアムステルダムに来たかというと、僕たちが使った世界一周航空券のルールのためです。

世界一周航空券は、アライアンス(航空会社のグループ)によって、各大陸で利用できる航空会社が決まってしまいます。
僕たちが利用したものでは、ヨーロッパではKLMオランダ航空を利用することになっていました。

ですので、アフリカからヨーロッパに来るときも、ヨーロッパの中で移動するときも、
ヨーロッパから日本へ帰るときもKLM航空の便を利用し、アムステルダムが欧州での旅の基点になったのです。

そんな感じでしたので、この街は『仕方なく来た』という感じが最初はしました。
でも今では、ここを訪れることができて本当に良かったと思っています。
 

これが、アンネ・フランクさんの家です。

アムステルダムで、絶対に行こうと決めていたのが、アンネ・フランクさんの家です。
彼女は、有名な『アンネの日記』を書いた人です。

第二次世界大戦でナチスによるユダヤ人迫害が激しくなったため、彼女の一家はこのアムステルダムに逃れ、
この家の屋根裏部屋に隠れて生活するようになります。
2年間もの隠れ家生活ののち、ついに密告によって一家は捕まり、
アンネさんたちはアウシュビッツの収容所に送られ殺されてしまったのです。15歳のときでした。

ここでの生活で彼女が書いていた日記は、終戦後に生き残ったお父さんによって出版されました。
こんにち、彼女の日記はさまざまな言語に翻訳され、世界中の人々に読まれ、平和の尊さを訴え続けています。

彼女は生前、こう言っていたそうです。
『戦争が終わって、もしも私が生き長らえることができたなら、将来は文章を書く仕事について世界の平和のために働きたい』
彼女は今でも、その大きな仕事をしつづけているのです。

アンネフランク・ハウスは、美しい運河のほとりにありました。
ここでは、アンネさん一家の隠れ家生活の様子を伝える、様々なものが展示されています。
彼女の勉強部屋や、彼女が一人になりたいときに時を過ごしたという屋根裏部屋も見学することができました。
彼女はその小さな窓から、隣りの西教会の塔を見上げ、教会の鐘の音を聴くのが好きだったそうです。
 

アンネさんが屋根裏部屋からいつも見ていたという
西教会の塔。

あのてっぺんに登って、
↑一番上の写真を撮りました。

西教会の塔の上から見たアンネさんの家。
大勢の人が行列を作っている建物がそうです。

矢印の先にある小さな窓から、
彼女はいつもこの塔を見上げていたそうです。

西教会の塔に登ると、眼下にアンネフランク・ハウスが見え、彼女がいつもこの塔を見上げていた小さな窓も見えました。

僕はあの窓に、こちらを見上げているアンネ・フランクさんの面影が見えたような気がしました。
そしてとても大切なメッセージを、彼女にもらった気がしました。
僕は、そのとき自分が感じたメッセージを今でもとても大切にしています。
 

サチコネエサンが体調を崩しました!

大きな病院に行ったところ、診察代とお薬代で
300ユーロ(5万円)かかりました!
金額を聞いたときはビックリしましたよ。
もちろん事前に金額を聞かされて、
『払えますか?』と確認されます。

『旅行保険に入っているので、
保険会社が払ってくれます』と言うと診察室に通され、
みてもらえました〜。お陰で治りました。
旅行保険は入っておくべきだと思います!

電車に乗って、
郊外のライデンという町に出かけました!

オランダの電車はカッコよくて、車内もキレイです。

ライデンの町では、シーボルト・ハウスに行きました。

シーボルトさん(1796−1866)とは
江戸時代に日本に来て、
長崎の出島に住んでいたお医者さんです。

ここには、彼が日本で集めた
様々なものが展示されています。
動植物の標本から、仏像に浮世絵、
タンスやお膳に仏壇の位牌。日本の地図。
とにかく膨大なコレクションがあります。
外国の人の目に日本がどう映っていたのかが、
ちょっと分かった気がしました!!

ライデンの運河の風景。
矢印の白い建物がシーボルトハウスです。

岸辺に腰かけてオヤツを食べました。

オランダや北欧のスーパーマーケットでは、
この丸いマークの『ユーロ・ショッパー』という
ブランドの商品が売られています。
このマークの商品は、
食品から日用品までなんでも超格安なのです!!

物価の高いヨーロッパでは、
このマークの商品に助けられました〜(笑)!

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