「海と大陸と南天の星」ライナーノーツ |
カノープス |
この曲の詞は、ナラボー平原という、オーストラリア南部に広がる果てしない荒野の風景を描いています。
CDの歌詞カードで、この曲の詞が載っているページの右にある地平線の写真がナラボー平原です。
写っている影は僕です。
僕はナラボー平原で、ほんとうに人生の宝物といっていいような、素晴らしい時間を過ごしました。
(このサイトの『JOURNEY』のページに旅行記があるので、ぜひそちらもご覧下さい。)
「カノープス」というタイトルは、星の名前です。全天で2番目に明るい星として有名で、
ため息のでるような真っ白な色をしています。
僕はこの星を見たとき、『この世にこれほど真っ白なものがあるだろうか!?!?』と、衝撃を受けました。
心を奪われる、というのはこういうことなのだと思いました。
それから、カノープスは、星の名前である以前に、人の名前です。
古代ギリシアに実在したと言われるナビゲーター(水先案内人)の名前で、
彼はその豊富な海の知識をいかし、海戦で、ある国を勝利にみちびいたそうです。
そのあと、エジプトで彼が亡くなったとき、
その地から南の地平線の上に輝いて見えたこの星を、彼の名で呼ぶようになったそうです。
2千年以上むかしの話です。
曲のアレンジは、ピアノとアコースティック・ギターの静かな雰囲気から始まって、
2コーラスが終わり間奏に入る瞬間にドラム&ベースやいろんな楽器が入ってきます。
間奏でメロディを奏でる笛の音色はシンセサイザーです。
ヤマハのMOTIFという音源に入っているのですが、かすれた音の感じや、デリケートな息づかいのような感じ、
夜風の優しさのような空気感まで表現されている、豊かな音色だと思います。
たった8小節ですけれど、僕は今でも、この間奏を聴くとあの荒野の星空を思い出します。
アレンジの中で、1ヵ所だけとてもこだわった和音があります。
『12月の夏空にかかる』というサビの、『かかる』の『る』という歌詞の瞬間に鳴る和音が、
さいしょの2回はディミニッシュという種類の和音なのですが、
間奏のあとのサビではトニックという種類の和音が鳴っています。
一般的に、ディミニッシュは不安感や切なさを感じさせる和音で、
トニックは安定感や力強さを感じさせる和音です。
最初の2回はディミニッシュなのに3回目でトニックが鳴った瞬間に、パッと空が見えるような、
何かが高く突き抜けるような一瞬の感覚が僕はとても気に入っていて、
おそらくこの曲の最も大事な瞬間だと思っているのですが、
そんなことはほとんど全てのリスナーにとっては言われなきゃ分からないか、
または言われても分からないものだと思います(笑) |
セイリング |
セイリング(sailing)とは、船出とか、航海という意味です。
CDの歌詞カードにも書いたのですが、春の南の空に『からす座』と『コップ座』が仲良く並んでいて、
あまり有名でないマイナー星座が好きな僕としては、いつかこの星座たちの歌も作りたいなと思っていました。
からす座はその台形の形から、日本や西洋で船の帆と見られていたこともあり、
となりのコップ座とあわせて『船出に乾杯!』みたいな歌が作れるなーと、以前から狙って(笑)おりましたが、
このたびこうして歌ができました。
この曲のような、「明らさまな」8ビートの曲というのは、
これまでのアクアマリンの楽曲には無かったような気がします。
Bメロ(「遥か遠く赤道を〜」の部分)でテンポが半分になって、サビでまた元のテンポに戻るというのも、
僕としては初めてやってみたことです。
(アレンジではかなりありきたりな手法ではありますが、僕も日々勉強中なのです)
ところで、アクアマリンの楽曲の基本的なコーラス・アレンジは、Sachikoのメインボーカルに、
ミマスが多重録音で「3度」と「5度」という2種類の旋律を加えるというのが定番です。
これは音楽の基本で、
ほとんど全ての音楽のハーモニーは、『主旋律、3度、5度』という3声のハモリが中心です。
いろんなアーティストのCDを聴いていると、この3声をステレオの中央で混ぜているケースが多いのですが、
僕はミキシングの時に、Sachikoのメインボーカルを中央に置いて、
ミマスの2本のコーラスパートを左右に分けるのが好きです。ですので、ヘッドフォンなどで聴くと、
右と左からミマスが別々のメロディーを歌っているのが聴こえてくるように作ってある曲がけっこう多くあります。
今回のアルバムでは、この「セイリング」や「エスペランサ」などがとても分かりやすいと思います。
(これも重箱のスミをつつくような話ですけど!)
ちなみにこの曲にはギターも入っていますが、実は同じ弾き方で、
フォークギターとクラシックギターという2種類のギターを弾いて、それをミックスしてあります。
これもヘッドフォンで聴くと右からアコースティックギター、左からクラシックギターの音が聞こえます。
なんでこんなことをするかと言うと、同じパートを2回録音してそれを混ぜると、
1回しか弾かない場合に比べて明らかにサウンドに広がりがでるからなのです。
これはレコーディングで実際にやってみると、目からウロコが落ちるほどの効果が実感できます。
(これも基本的な手法なので、みんなやってます) |
エスペランサ(希望) |
この曲は、クラシックギターをフィーチャー(←今ふうの言い方だ)しています。
ギターを習い始めた人がまず夢見るのが、『間奏でギターのソロをかっこよく弾きたい』ということだと思います。
僕もその例にもれず、遂にこのアルバムで初めて『間奏ギターソロ』に挑戦しました。
この『エスペランサ』ではクラシックギターで、そして『南十字星』ではエレキギターでやってます。
僕としましては、いちおうの目標を達成しましたが、もっとギターは上手くなりたいので、
これからも「希望」を持ってがんばります。楽器が弾けるというのは、ほんとうに素晴らしいことで、
人生を何倍にも楽しく豊かにしてくれます。
とくにギターは、どこにでも持ち運べて、電源もいらないので素晴らしいです。
ピアノは持ち運べないし、キーボードは電源がないと音が出ないので、
鍵盤楽器しか弾けない僕はギターにとても憧れていました。
これで、砂漠でも草原でも、街角でも、山の頂上でも、地球上どこでも音楽ができるようになりました。
これは僕の人生にとって革命的なことです。
ところで、CD歌詞カードの解説には、
この曲はオーストラリアの『エスペランス』という町の海を見て作ったと書いてあるのに、
曲のタイトルが『エスペランサ』となっていて、語尾が微妙に違うのはなぜなのか、
と聞かれたりすることがあるので、説明いたします。
この経緯は、話すと長くなるのでCDの解説書にも書けなかったし、
ライブのMCでも省略してしてしまっています。
僕は数年前からスペイン語の勉強をしていて、
その中で『エスペランサ(esperanza)』という単語に出会い、その美しい響きと、
希望という意味に心ひかれました。
『エスペランサ』とは、『エスペラール(待つ)』という動詞の派生語で、
スペイン語では、『希望』というのを『待つこと』だと認識しているのだということにも感動したりしました。
そしていつか、『エスペランサ』という題名の、希望の歌を作りたいなーと思っていた訳です。
そんな折、オーストラリアで『エスペランス(esperance)』という町に行ったのは全くの偶然でした。
こちらはフランス語が起源です。フランスの『エスペランス(希望)号』という船が、
嵐のとき、この入江に避難したことから、この町はそう呼ばれるようになったそうです。
スペイン語とフランス語は、同じラテン系なので、お互いに似た単語やソックリな単語がたくさんあります。
エスペランスの町で、あまりにも美しい海を見たとき、僕は運命を感じました(笑)。
きっと神様が、
『君が作ろうと思っていたエスペランサ(希望)の歌は、この海の風景を見て完成させなさい』
と僕をここに導いたのだ、と思いました。人生の重大な局面には、こうした偶然や勘違いが付きものなのです。 |
マゼラン星雲 |
この曲は、千葉県にある白井市文化センター様のプラネタリウムのために作った音楽です。
白井のプラネタリウムからは、毎年のように、
夏の投影番組の日没と夜明けのシーンのために曲を作るというご依頼を頂いております。
そうして作った曲たちの中には、作者としましてはけっこう愛着がある曲があるので、
こうしてアクアマリンのアルバムに収録させて頂いたりしてます。
当サイトの旅行記にも書いておりますが、マゼラン星雲を初めて見た時の衝撃はたいへん大きなものでした。
ホントウに、雲のかけらが夜空に浮かんでいるように見えます。
僕が生まれて初めて、南半球の荘厳な星空と出会ったのは、
インド洋に面したカルバリという小さな町の外れでした。
一人で夜中に宿を抜け出し、海崖の上の展望台に着いて、車のヘッドライトを消して外に出た瞬間、
そこはもう宇宙の大海原でした。
南半球の星空とはこれほどまでにキラビやかなのか!と、思い知らされました。
日本のような北半球の国に生まれるということは、もしかしたら不幸なことなのかもしれませんし、
こんな衝撃を体験できることがもしかしたら幸福なことなのかも、しれません。
そんな、ものすごい星空の中でも、ひときわ目立ち、
どこを向いても勝手に視界に入ってくるのがマゼラン星雲です。
この曲は、プラネタリウムに『納品』したときは、発見されたばかりの小惑星のように
曲名もついていなかったのですが、僕としては、この曲の雰囲気がとてもマゼラン星雲っぽかったので(笑)
こういう曲名をつけて、アルバムに収録ということになりました。
ちなみに、僕は最初に12月にオーストラリアに行ったので、
その時は、マゼラン星雲やカノープスがよく見えました。
6月に行った時は、南十字星やアルファ・ケンタウリ、銀河中心などがよく見えました。
やはり星空には季節があるので、もしもお目当ての星座や天体があるなら、
季節をよく選んで行ったほうがいいです。
そして月の形も調べて、新月の闇夜の頃を狙ったほうがいいです。
というのも、僕の周囲でも、オーストラリアに行きさえすれば南十字星が見えると思っている人も多いからです。
12月では南十字星は見えないし(厳密に言えば、未明に逆さまの向きで、すごーく低い所に昇る)、
満月では月明かりが空に広がり、淡い天の川が見えないのであります。 |
南十字星 |
『明るく楽しく元気な』星の歌を作るというのが、僕の目指す音楽の一つの形であります。
そのベクトルの延長にあるのが、たとえば『COSMOS』とか『All
with YOU』とか
『銀河のメリーゴランド』とかなのですが、
この『南十字星』もだいたい、その路線を意識して作りました。
世の中には、星や宇宙を題材にした音楽がありますが、多くの作品は、
星や宇宙というものを僕たちの生活や人生から遥か離れたところにある、神秘的な世界として描いています。
僕はどちらかというと、もっと日常的で、いつも人生のすぐそばにある星や宇宙を描きたいと思っています。
アンドロメダ星雲はどこにあるかと尋ねれば、
ほとんどの人は『230万光年も離れた、遥か彼方にあるのだ』と言いますが、
アクアマリンの楽曲においては、アンドロメダ星雲は、ここにあるのです。
230万光年離れた場所を『あそこ』と呼ぶのか、『ここ』と呼べる感性を持つかは、
人生観に決定的な差異をもたらすのではないか、というのが、僕の考えなのです。
南十字星は、南半球の星空、そしてそれに対する僕たちの憧れのシンボルのような存在なので、
当然このアルバム制作にあたり、南十字星を描いた作品を作ろうという構想は最初からありました。
2004年の12月、最初に一人で西オーストラリアを旅したときにも南十字星を見ましたが、
この歌の曲想の元になったのは、2回目に行ったときに見た「6月の南十字星」です。
CDの解説書にも書きましたが、6月の南十字星は最高です。
人間は、あまりにも美しいものを見たとき、無条件にいろいろなことを信じられる気分になると思います。
僕がこんな歳になってもまだ、世界平和は実現できるとか、
幸福とはイス取りゲームのように数に限りがあってそれを奪い合うのではなく、
人間の数と同じだけイスを作ることはできるのだとか本気で思っているのは、これまで真に美しいものを、
少なくとも悲観的な人々よりはたくさん見てきたからだと思います。(なんか変な文章) |
月への階段 |
この曲は、作者としましては、予想外に反響と好評を頂いた曲です。
このアルバムの中でいちばん気に入ったという感想やメールも少なからず頂きました。
アルバムの曲目を選び、曲順を決めるという作業は、
野球チームの監督が打順を決める作業に似ていると思います。
野球の打順に、たとえば『出塁してチャンスを作る1番打者』とか、
『送りバントでチャンスを広げる2番打者』とか、
『ドカンと長打を打って得点を入れる4番打者』などと役割があるように、
アルバムの曲にも、『とりあえず聴く人の心をキャッチしてもっと聴いてみようという気持ちにさせる曲』とか、
『4番バッター的な曲』とか、
『別にみんなに理解してもらわなくても言いたいことが言えればいい自己満足な曲』とか、
あると思います。
で、この『月への階段』は、僕の中では明らかに下位打線の、7番か8番打者でした。
もしもこの曲を気に入って下さった方が大勢いらっしゃるということでしたら、
それは8番バッターが満塁でホームランを打っちゃったということです(笑)。
作詞というのは、いろんなアプローチがあります。いくら勉強しても、研究しても果てのない深遠な世界です。
そんな中で、僕がときおりチャレンジしているのが、『長い長い物語を5分間の歌に集約する』というテーマです。
これは作詞のアプローチの中でも、もっとも難度の高い究極的な挑戦の一つだと思っています。
これまで『遥かなるペルセイズ』や『家族写真』、『大輪の花を咲かせて』などの楽曲では、
人間の半生や、何世代にもわたる何十年という時間を、5分間の歌で表現するというテーマに挑戦しました。
これはとてもやりがいのあるトライアルでした。
今回は、何十億年にもわたる物語を一つの歌にしようと、がんばったわけです(笑)。
しかし実際は、これらの楽曲はどれも6分前後の長い曲になってしまっています(笑)。
ところで、『月への階段』というものは、実在します。
西オーストラリア州の、インド洋に面したブルームという町で見られる神秘現象のことです。
ブルームの海岸は満ち潮と引き潮の水位の差が激しく、引き潮になると遥か沖まで続く広大な干潟が出現し、
水平線の向こうに満月が昇ると、
干潟の乾いた所とまだ海水が残っている所が交互になって月光を反射するので、
まるで月に向かって光のハシゴがのびているように見える、というものです。
僕はブルームには行ったことがありません。ブルームはあまりにも遠く、
広大なオーストラリアでは孤立した町なので、よほど日程に余裕のある旅行者
(たとえば、ワーキングホリデーで渡豪し何ヶ月もかけてオーストラリアを一周する若者)か、
最初からブルームに行く目的でオーストラリアへ行く人でなければ、『月への階段』を見ることは難しいでしょう。
僕は西オーストラリア州を一人で1ヶ月ほど旅したとき、
州都パースから北へ800kmほどのシャーク湾までは行けましたが、他に行きたい所も多く、
そこから更に1000km以上も北へ運転してブルームまで行く余裕はありませんでした。
それでも、『月への階段』という言葉を、ガイドブックで見つけた時には、その美しい響きにとりつかれました。
これは歌のタイトルになると、直感したのですね。
こういう瞬間が、作詞を志す人間には、たまに訪れるわけです。
ここからは、CDに付いている歌詞カードの文章につながります。
シャーク湾でストロマトライトの群生を目の前にしたとき、何十億年も昔、月光あふれる入江で、
波に揺られていた微生物が月への憧れを抱いた、という物語を思いつきました。
地球を飛び出して月へ行く、ということは人類だけの問題ではなく、
それまでの何十億年という連綿とした背景があり、
人類は最後の石を積んだに過ぎないのではないかという思いが、僕にはありました。
そんな話はいいとして、音楽的なことを書きますと、この曲のイントロやAメロのコード進行は、
「ペダルポイント」という技法を使っています。
和音(ピアノの右手)はD(レ・ファ#・ラ)→E(ミ・ソ#・シ)→G(レソシ)→Dと移って行きますが、
ルート(ピアノの左手)の音はずっとD(レ)の音のままです。
アレンジの世界では多用される方法ですが、浮遊感みたいな効果が得られます。
このコード進行は、この曲の最初から最後まで象徴的に使われて、曲全体の雰囲気を作っています。
間奏のメロディーの、印象的なアナログ・シンセサイザーっぽい音色は、
ヤマハのMOTIFというシンセに入っている音色です。これは僕のイメージにぴったりでした。
アレンジ作業で、音色を探していたとき、この音色を聴いて、「これだこれだ!これにしよう!」と思いました。
ちなみに、ボーカルのレコーディングでは、 サチコネエサンは、
何度も繰り返し歌詞に登場する『ああ』に毎回変化をつけることにこだわりを見せていました。 |
時計を止めて |
この曲は、「セイリング」と並んで、このアルバムの中ではいちばん最後に作った曲です。
もう収録曲は出そろっていて、あとは何かプラスαが欲しいなあという状況で作った曲ですので、
とても軽い気分で作りました。
どんなミュージシャンのアルバムでも、渾身の一曲があったり、
一方で遊びの要素が入った軽い曲があったりすると思うのですが、この曲は明らかに後者です。
今回のアルバムでは、サチコネエサンが曲を書かなかったので、たとえば『くものうた』、
『ボートに乗って』などに見られる彼女の作風を模して作ってみました。
音楽的なことを言いますと、この曲のリズム(3連符の3拍子)は、
アクアマリンの楽曲としてはじつに『冬のウサギ』以来2曲目という希少なものです。
そして、僕がこの曲のアレンジでいちばん気に入っているのは、2番が終わった後に出てくる間奏の、
打楽器群のトラックです。これは本当に偶然の産物です。
コンピューターでアレンジをやっていると、自分が弾いたピアノの演奏は、
一つ一つの音符が数値データに変換されて記録されます。
それを再生すると、そのデータがピアノの音を発音させて、
自分がさっき弾いたのと同じ演奏が再現されるという仕組みなのです。
じつは、間奏の打楽器群の音は、本来ならピアノを発音させるはずだったデータが、
MIDI信号の設定の間違いで、ドラムパッドを発音させてしまったものなのです。
たとえばピアノの「ド」の音を発音させるはずのデータが、トライアングルを「チーン」と鳴らしてしまったり、
ピアノの「ミ」の音を発音させるはずのデータが、シンバルを「バシャン」と鳴らしてしまったり、
ということが起こってしまったということです。
変なホイッスルまでピーピー鳴っているし、最初は慌ててそれを直そうとしたのですが、
何回か聴いているうちに『うーん、悪くないかも』『これをこのまま使っても面白いかも』と思いまして、
そのまま使ってしまいました。
この間奏の打楽器群のトラックは、作ろうとして作っていたらこんな変なものはできなかったはずですが、
僕としましては、とても満足しています。 |
Silent Night |
この曲は、最初からクリスマス・ソングということを意識して作りました。
これまでのアクアマリンのレパートリーとしては、
クリスマスっぽい歌というと『冬のウサギ』くらいしかなかったので、
もう一つ二つあってもいいなーと思ってました。
この曲を聴いた多くの方が、『ハハアこれはクリスマス・ソングだな』という印象を持つと思うのですが、
改めて歌詞をよーく見ると、クリスマス的な要素は全く無かったりします。
『イントロで鈴の音がシャンシャン響く』という『記号』は、これほど強烈な支配力を持っているわけです(笑)。
僕はオーストラリアでクリスマスを過ごしたことはありませんが、その数日前までオーストラリアにいたので、
だんだんと盛り上がってくるクリスマスの雰囲気を、いたる所で味わうことができました。
パースでは、繁華街の広場で、イブの夜にキリストの生誕を描いた演劇を上演するそうで、
その公開リハーサルを見ることができました。
これはリハーサルですら感動的で、音楽、照明、ダンス、本物のラクダまで登場する舞台演出など、
とても大掛かりなものでした。
広場に並べられた無数のイスには市民が勝手に座ってリハーサルを見ながら、
役者さんが独唱を歌い終えるたびに盛大な歓声と拍手をおくっていました。
本番はどんなにスバラシかったことでしょう。
オーストラリアのクリスマスは夏至に近いので、夜遅くなっても空が明るく、
厳しい暑さが日暮れとともにようやくおさまってきます。
そんな黄昏のなか、僕は24日間の旅の最後の日を、独りパースでそんなふうに過ごしました。
これも良い思い出です。初めて行ったオーストラリアは、とても楽しくて、
はっきり言って、『帰りたくないなあ』という気持ちでした。
パースの話になってしまいましたが、パースは本当に素敵な街です。
『世界一美しい街』とか『世界一住みやすい街』とかいう称号も、けっしてウソではありません。
高層ビルや道路や公園や近郊電車はとてもきれいで清潔感がありますし、
歴史的な建物も街なかに普通に残っています。
治安も良く、モールにはセンスの良いお店がたくさん並んでいます。
スワン川のほとりに行くと、「黒い白鳥」やイルカが出迎えてくれました。
イルカは海から川へ入ってくるみたいです。
パースの魅力の一つは、人種の多様性です。僕はオーストラリアに行く前は、オーストラリアという国は、
イギリス人の子孫ばかりが暮らしていると思ったのですが、パースにはイギリス系だけではなく、
イタリア系などのラテン系も多く、とりわけアジアの中国系やインド系などの人々が多くて、
日本人の僕が通りを歩いていても、何ら違和感のない街でした。
旅行記にも書きましたが、町なかには所々にフードコートがあり、
アジア系の人々の作る食べ物が素晴らしく美味しく、安く食べられました。
いつかまたパースに行って、カレー、ラーメン、牛丼などを食べ歩きたいです(笑)。 |
アルファ・ケンタウリ |
この曲はインストなのにすごく好評を頂きました。
このアルバムの中でこれが一番気に入ったと言った人が、僕が知っている限りで3人もいます。
7月2日に東京のお茶の水で行った発売記念ライブでは、
この曲を1曲目に持ってきて、インスト曲でコンサートが始まるという構成にしたので、
それがとても印象的だったと言って下さった方もいました。
アレンジをするときは、もっと穏やかな、
ピアノにほんの少し音を足した程度のアレンジにしようかと思っていたのですが、
やっていくうちにどんどんトライバル(民族音楽ふう)な感じになってきて
最終的には太鼓がドンドコ鳴るこんな感じになりました。
僕はとくに意識はしなかったのですが、
オーストラリアの、とくに北部準州(ノーザン・テリトリー)を旅したさいに
アボリジニの人々の歴史と文化に触れたことは、この曲や、
次の『銀河の光ときみの影』などの楽曲にすごく影響を及ぼした感じがあります。
いろんなところで言っているのですが、
僕には、アルファ・ケンタウリという星の輝きがとてもユニークなものに感じられます。
星の輝きを3つに分類するとしたら、キラキラ瞬く恒星と、瞬かない惑星と、
そのどちらでもないアルファ・ケンタウリに分かれる、という印象があります。
そのくらい、この星の光は独特で、他にはない美しさです。
実際この星は、『2つの1等星がくっついている二重星』であるという唯一無二の特徴があるので、
きっとそれが理由なのかもしれませんし、単なる僕の思い込みかもしれません(笑)。 |
銀河の光ときみの影 |
2回目(2005年6月)にオーストラリアに行った頃の僕は、一つの『言い伝え』に夢中になっていました。
例の、『南半球では銀河中心(天の川が最も明るく濃い部分)の光で地上に影ができる』というウワサです。
このときの旅行の日程を6月にしたのは、なんとしてもその現象を見てみたかったからで、
ちょうど新月の頃に、大陸中央部の砂漠で星空を見ることができるようにスケジュールを決めました。
大陸の真ん中、砂漠に囲まれたアリススプリングスの町では2泊しました。
宿のすぐ近くにカジノがあったので、夜10時くらいまではスロットマシンなどをやっていましたが、その後、
車で郊外へ向かい、西マクドネル山脈のほうへわずか20〜30kmほど行っただけで、
全く人工的な灯りの無い完璧な満天の星空が広がっていました。
アリススプリングスもたいへん小さな町なので、
ここまで来るともう、夜空の暗さに何の影響も及ぼさない感じでした。
ここで見た天の川は、ほんとうに驚異的で、感動的でした。
僕は星を見るのが好きなので、日本でもいろいろな場所で星を見ました。
北海道や東北地方の海辺や山の上、日本アルプス、沖縄の離島、
いろんな場所で素晴らしい星空を見てきましたが、やっっっぱり南半球の、砂漠で見る天の川は、
悲しいことにこれまで僕が日本で見てきた天の川に比べて、圧倒的にスバラシイものでした。
気のせいかもしれませんが、天の川に青緑の色がついて、川面にさざ波が立つように、
ゆらゆらとさざめいているように見えました。
よく、天の川を写した天体写真では、暗黒星雲が複雑に入り組んでいる様子が見られますが、
そうしたものも、肉眼ですごくリアルに、気持ち悪いくらいリアルに見えました。
僕は地面に仰向けに寝転がり、空に高く手をかざすと、天の川の光で影絵ができました。
自分の手でいろんな形を作ると、天の川の光をバックに自分の手のシルエットが真っ黒く浮かび上がり、
楽しいのと同時に、いま自分は何てゼイタクなことをやっているんだろう、などと思いました。
『カニ』とか『ハト』とか、自分の手でいろんな形を作っては、天の川の光を使った影絵で遊んでいました。
これは、この地球上でもっともゼイタクな影絵遊びかも、しれません。
いちばん重要なのは、天の川とはそもそも何なのかということです。
それは2000億個とも言われる、私たちの銀河系の星の光の集合です。
僕たちが夜空を見上げたとき、一つ一つ、個々の星として見えるのは、せいぜい5000個とか6000個の、
僕たちの「ごく近所」の星だけです。
そのほかの、ほぼ全ての2000億のあまりに遠く微かな星たちは、
見える星も見えない星も一つに集まってあの光芒として見えているのです。
つまり天の川の光とは、銀河系という、僕たちと同じ「家」に住んでいる家族、友達の声なのです。
こうしたことを考えれば、天の川を見るということ、また、私たち人間の多くが、
天の川を見ることができない場所で生活しているということの意味は大きいものです。
そんな話はいいとして、僕たちはオーストラリアの砂漠で、
天の川の光で地上に影ができるかどうか試してみました。
その結果は、旅行記に詳しく書いていますので、『JOURNEY』のコーナーもぜひご覧くださいね! |
グレート・オージー・ロード |
オーストラリアの最大の魅力の一つが、不思議でヘンテコな野生動物たちです。
体中がトゲトゲになっているトカゲや、道の真ん中で寝ているゴアナ(体長1m
以上ある巨大トカゲ)や、
道ばたで片手を上げてヒッチハイクをしているカンガルー、
ドシドシ音を立てながら走っているエミュー(ダチョウのような飛べない巨大な鳥)、
人間の背丈の2倍もあるアリ塚、などに遭遇したとき、
この動物の皆さま方の歌も作らなければならないと思いました。(笑)
ただこの歌の歌詞には、僕が実際に出会っていない動物も登場しています。
エキドナ(ハリモグラ)やエリマキトカゲにはついに会えませんでしたし、
カモノハシなどは、地元オーストラリアの国民ですら、ほとんどの人が野生では見たことが無いという、
幻の動物らしいです。
中でも僕がとても好きなのは、やはりカンガルーです。
夜行性なので昼間はあまり出会いませんが、夕方や早朝には、ふつうに道路を走っていると、
たまに道端に現れます。
カンガルーはすごく大きくて、とても頭の良さそうな目をしています。
近づいても逃げることなく、じっとこちらを見つめ返してきます。
吸い込まれそうな、神秘的で理性的な目で見つめられると、
こちらの心のうちを見透かされているような気分になってきます。
アレンジについて言いますと、この曲ではエレキギターが主役です。
こういう、ディストーション(音を歪ませてギャンギャン鳴ってる)ギターで曲を作ってみたいというのは、
エレキギターを習い始めてからずっと思っていたことです。
しかし他にも、ブラス隊とかオルガンとかベースのフレーズもけっこう頑張って、凝って作りました。
この曲は、メインボーカルを僕が歌っているので、レコーディングでは先に僕が歌って、
メインボーカルのトラックができあがったあと、後日サチコネエサンがコーラスを録音しに来ました。
コーラスのメロディはだいたい僕が考えておいたのですが、
他にもその場でいろいろなフレーズをサチコネエサンが考えて録音しました。
2番のBメロで、サチコネエサンが『エキドナ!』と叫んでいますが、
これはいろいろと試行錯誤をくりかえして、いろんなやり方で録音してみました。
最終的に、マイクから3mくらい離れた所から思いっきり大声で叫んで、
それをドライ(エコーなどの効果を全くかけない)でミックスするとすごく面白い、ということになり、
そのようになっています。
『ハエの大群に驚いた悲鳴』もその場のノリでレコーディングしたものです。
レコーディングとは、けっこうブッツケ本番な世界なのです。
どうなるか分からないという心もとない部分もありますが、
こういう楽しさがあるので大変なレコーディングを乗り切れるという部分もあります。 |
COSMOS |
COSMOSのこのアレンジは、2002年にリリースしたミニアルバム
(現在は絶版)のものです。
基本的には2002年のCDと同じものですが、リミックスとは言わないまでも、
各トラックのデータを別のハードディスクレコーダーに取り込んでミックスし直したので、
厳密にいうと違いが出ているかも、しれません。
このアレンジの特徴(というほどでもない)は、サビの和音が1か所、オリジナルと異なる部分があることです。
『♪君も星だよ〜』のコード進行は、ふつうは『C→G→Em/A→C/G』というメジャー系のコードが続くのですが、
1か所だけちょっとしたアクセントをつける意味で、
『C→G→Em→E→Am』というセカンダリー・ドミナントのコード進行(一瞬、短調っぽく聴こえる)にしています。
このコード進行は、ライブなどで
ピアノ&ボーカルだけの編成でCOSMOSを演奏するときにときどきやってます。 |
海辺のアリス |
この曲の始めに入っている雷鳴と雨の音は、実際に録音してきたものではなく、
シンセサイザーに入っていた音色です。(笑)
僕たちがアリススプリングスを出発して、
400km南西のウルル(エアーズロック)へ向かっているとき、大雨が降りました。
砂漠に降り注ぐ豪雨というのは、凄い迫力です。
車を運転していたサチコネエサンは、しじゅう叫び声をあげていました。
その想い出として、僕はこの曲のイントロに雷鳴と雨の音を混ぜました。
こういうことは、CDを買って下さったリスナーの皆様には大した意味のないことだと思いますが、
音楽を作る側には重要なことです。
音楽とは実存主義的(?)なものだというのが、僕の意見なのです。
2コーラス目から入ってくる、木管楽器のようなリードの音色も、シンセサイザーの音です。
機械の音のわりには、ビブラート(息づかい)がとても気持ちよくかかるので、
この音色をフィーチャーした感じのアレンジになりました。(アレンジというほどのアレンジでもないけど!)
シンセサイザーには、ゲーム機のジョイスティックのようなレバーが付いていて、
これをウニウニ動かすと、音が歪んだり、ビブラートがかかったような効果が表現できます。
けっこう微妙な操作が必要なのですが、これが上手くできると、すごく生演奏っぽい感じになります。 |
夜行列車〜旅スル理由〜 |
昨年の秋にエレキギターを始めてから、
ぜひレコーディングで使って みたいと思っていたのが「トレモロ」というエフェクト(効果)です。
この曲のイントロや間奏で弾いているエレキギターがそうなのですが、
この「ウワンウワン」と波打つような音色の持つ、いかにも長い旅の終わりというような疲れた感じ、
旅人の哀愁を思わせる雰囲気が、僕はとても好きです。
間奏のブルースハープ(ハーモニカ)も僕が吹いています。
レコーディングでは、こうした小物楽器はいちばん最後に録るのですが、
この曲の調(イ長調)に合うのが無くて、あわてて楽器屋さんに行って買ってきました。
トレモロギターと、ブルースハープ、そしてオルガンという組み合わせは、
これまでのアクアマリンには無かった、ちょっとデスペラード(世捨て人)的なサウンドです。
僕はけっこうこういう世界が好きです。
歌詞の中には、『北の夜空を駆けるペガサス』という言葉があります。
日本では、ペガサス座は天頂に、しかも上下逆さまになって見えますが、南半球では北の地平線の上を、
ほんとうに馬が駆けているような向きで見えるので、すごく感動的です。
南半球への星旅の魅力は、日本からは見えない星たちが見える、ということもありますが、
ふだん見慣れた星座たちが違う季節に、
違う方角に、違う向きで見えることへの新鮮な感動というものもあります。
この曲は、オーストラリア大陸を南北に縦断する列車『ザ・ガン』号に乗ったときに曲想を得ました。
僕は鉄道が好きで、幼い頃は日本の国鉄(今はJR)の全ての特急列車の始発駅と終点を言えましたし、
どうしてもブルートレイン(寝台特急)に乗りたくて親にせがみ、親戚の鉄道好きの叔父さんに、
『さくら』号に東京から沼津まで乗せてもらったことがあります。
僕は24系25型よりも、14系の客車のほうが好きだったのです。
さくら号の車掌さんは、
『長崎行きの寝台列車に東京から乗って、沼津で降りるお客さんなんて初めてだ!』と言いながら、
乗車記念の大きなスタンプを、ノートに押してくれました。
そんな感じでしたから、大人になって外国を旅行するようになってからも、鉄道というのは特別な乗り物でした。
シベリア鉄道でモスクワまで行き、そこから『北極号』という夜行列車で北極海に面した港町まで行き、
ものすごく高く輝く北極星を見ました。
中国でも北京から、万里の長城まで鉄道で行きました。
アメリカではロッキー山脈を越える寝台列車に乗りました。
ロサンゼルスからシカゴへ、またシカゴからサンフランシスコへ。
車内の食堂車などで知り合った人たちは、そのルートを聞いて
『アメリカをそんなふうに旅する旅行者なんて聞いたことないよ。飛行機ってものがあるだろう。
君らはヒマなのか??』とあきれていましたが、アメリカ旅行については、
鉄道でロッキー山脈横断をしたいと言ったのはサチコネエサンです。
この歌の歌詞にもありますが、一つの旅を終えて帰路につくとき、
飛行機の中で、列車の中で『次はどこへ行こうか』と考えます。
『今度はあそこに行きたい、ここにも行きたい』と、夢はふくらむばかりです。
ほとんどの人はそうだと思います。
僕たちは多かれ少なかれ、世界への憧憬を、心の中に持っているのだと思います。
地平線の向こう側に何があるのか。それを垣間みることができるのなら、
そのためだけに地平線まで歩いて行くことを厭わない、
『世界への憧憬』が誰の心にもあって、僕はそれが少し普通の人よりも強いのだと、思います。 |
ジャケットについて |
今回のCDアルバムジャケットのデザインは、
エスペランスの海岸で撮った写真をもとにヒマを見つけて画像処理ソフトで青い文字を重ねたり、
南十字星のマークを描いたりして作りました。
サチコネエサンに見せたら、なかなかいいんじゃないのと言われたので、これをデザイナーさんに見せて、
ちゃんとしたプロ用の機材で、丁寧に再現してもらいました。
写真を撮ったり絵を描いたりするのが嫌いではないので、
CDジャケットのデザインもいつかやってみたいなーと思っていたので、これも良い体験となりました。
ところで、今回のCDの歌詞&解説のブックレットには天体写真も2点、載っています。
これらの天体写真は、西谷尚行さんという方の作品です。
西オーストラリア州へたびたび天体写真の撮影旅行に行かれ、
素晴らしい星の写真をたくさん撮っていらっしゃいます。
大阪人で、本業ではプラネタリウム番組の制作会社『イーハトーヴ』
を経営しています。
アクアマリンの音楽を主題歌にしたプラネタリウム番組が制作されるさいにお世話になり、
何かと親しくなりました。
オーストラリアの中でも、比較的穴場である西海岸地方がお気に入りだという共通点もあって、
今回お願いして南半球の星空の写真を使わせて頂きました。
曲目のページは、ケンタウルス座や南十字星のあたり写真です。
いちばん明るく写っているのがアルファ・ケンタウリで、その右のほうには南十字星が写ってます。
天の川も写っていますね。
南十字星のすぐ左下にある、天の川に空いた黒い穴のような部分が
有名な石炭袋(コールサック)と呼ばれる暗黒星雲です。これも肉眼でよく見えます。
背表紙の写真は、魚眼レンズで撮影した全天の写真です。
写真の周囲が丸い形をしているので、まるで望遠鏡で撮った写真のように見えてしまいますが、違います。
ものすごく視野の広いレンズで、地平線と頭上の星空ぜんぶを撮影した写真なのです。
周囲の丸い線が360度の地平線で、この円の中に、見上げた星空の全てが写っているわけです。
こうした写真では、円の中心が天頂(頭の真上)になるのですが、
天頂に天の川の最も濃くて明るい部分が昇っています。
この時の実際の眺めは、たとえば本作の『銀河の光ときみの影』に描かれているような、
ほんとうに素晴らしいものです。 |