自由の女神 THE STATUE OF LIBERTY |
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ニューヨークに行ったらやっぱり自由の女神は見たいので、着いた翌日にさっそく行きました。
自由の女神はリバティ島という小さな島に立っているので、マンハッタンからは船に乗らないと行くことができません。
僕たちはまず地下鉄で、マンハッタン島の南端のバッテリー・パークにある船乗り場に行きました。
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バッテリー・パークから見た自由の女神。
自由の女神(リバティ島)と、
となりにあるエリス島を周遊するキップを買いました。 |
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マンハッタン島を出発します。 船から見る摩天楼はとてもカッコいいです。 |
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1月のニューヨークはとても寒かったです。 風が冷たくて、耳がちぎれそうです!!
フェリーはいろんな国からの観光客でいっぱいで、
様々な言語が聞かれました。
この写真は、今回いっしょに旅行した
F川サンという人に撮ってもらいました。
F川サン(女性で年齢は僕達と同世代)は、
僕たちがメジャーで音楽活動をしていた頃の
事務所のマネージャーだった人です。 今はテレビ局で超忙しく働いています。 |
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リバティ島が近づいてきました。
高さ93m。
想像していた以上に大きいです。 |
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これは自由の女神の内部です。
上のほうへ伸びてゆく螺旋階段を、
下から見上げて撮りました。 |
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自由の女神の台座の部分に登りました。
雪がドンドン降ってきて、
外は銀世界になってしまいました。 マンハッタンも雪にかすんでしまいました。 |
自由の女神も素晴らしかったですが、僕は隣りのエリス島がとても印象に残りました。
エリス島も本当に小さな島ですが、ここには1892年から1954年までアメリカの移民局がありました。
ヨーロッパの国々から新天地を求めてやってきた移民の人たちは、
船で大西洋を渡ってきて、まずこのエリス島に上陸したのです。
今ここは博物館になっていて、さまざまな興味深い展示品が並んでいます。
当時ここにやってきた人々の多くは、いろいろな事情から母国での生活に別れを告げ、
新しい人生を始めるために来ました。
大きな決意と、期待や不安を抱えてここに降り立ったのだと思います。
彼らがここで何を見て、どんな気持ちになったのか。それがとてもよく分かるような展示になっています。
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エリス島に上陸します。 |
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これは入国管理センターのホールです。
当時ここは、船を下りて入国審査を待つ移民の人たちで
いっぱいになったそうです。 |
ここに来れば誰でもアメリカに入れたわけではなくて、
審査や健康診断の結果しだいでは入国を拒否され、ふたたびヨーロッパ行きの船に乗せられてしまう人もいました。
故郷を捨てて来ている人たちにとっては、帰されても帰る場所なんか無いわけです。
家族や親戚と一緒に来たのに、一人だけ入れないというケースもあったそうです。
いろいろ想像してしまったら涙が出そうになりました。
両替所の展示が印象的でした。ここには銀行もあったのです。 ヨーロッパの様々な国の通貨と、米ドルとの両替レートが手書きで書かれたボードがありました。 ここで移民の人々は、自分が持ってきたお金をアメリカのお金に替えたのです。
たくさんお金を持っていた人も中にはいたでしょうが、
ほとんどの人は虎の子のお金を握りしめるようにしてここに来たはずです。
そのお金をアメリカのドルに替えたとき、どんな気持ちになったでしょうか。
もう後戻りはできない、前に進んで、
この新天地で生きる道を見つけてゆかなければならないという決意を新たにしたのではないかなあ、と思います。
僕は旅行が好きでいろんな国へ行きましたが、『両替』っていうのは、実はけっこう重大な儀式です。
たんなる旅行でさえ、その国に入って初めて両替をしたときには、
希望と不安と決意が複雑に混ざりあったような特別な気持ちになります。
僕は、ここを通り過ぎていった人たちの気持ちが、ちょっとだけ分かるような気がしました。
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エリス島の入国管理センターから見た
マンハッタンの摩天楼。
移民の人たちも同じ風景を見たはずです。
こうやってアメリカにやってきた人たちが
こんにちのアメリカ合衆国を
築き上げたんだなあと思うと、
ものすごく感慨深いものがありました。 エリス島に行けて本当に良かったです。 |