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カルタゴ CARTHAGO

この写真は、チュニジアに到着した日にさっそく訪れたカルタゴの遺跡です。
『ビュルサの丘』といって、古代カルタゴの中心地だった場所です。

チュニジアを旅行するにあたって、僕がいちばん楽しみにしていたのがこのカルタゴでした。

いまから2000年以上むかし、このカルタゴとローマは地中海の覇権をかけて『ポエニ戦争』を繰り広げました。

カルタゴの英雄ハンニバルが象の大軍を引き連れてアルプス山脈を越え、ローマを背後から攻撃して快進撃を重ねた物語は、
古代史のなかでも最も有名なできごとの一つです。
結局カルタゴはローマに逆転負けして歴史から消えてしまいますが、その輝かしい栄華と滅亡の物語は、
歴史好きにとっては本当にロマンあふれるものなのです。
 

チュニジアへは
3便の飛行機を乗り継いで行きます。

羽田空港から関西国際空港まで1時間、
関空からカタールのドーハまで12時間、
ドーハからチュニジアまで7時間。

待ち時間も含めると、
まる1日かかってチュニス・カルタゴ空港に着きました。

チュニスにはお昼に着きました。

まず最初に訪れたのがバルドー美術館です。

ローマ時代の大きなモザイク画が
たくさん展示されていてとても素晴らしかったです。

カルタゴでは
まずローマ時代の貯水施設を見学しました。

カルタゴを滅ぼして
ここに新しい町を再建したローマの人たちは、
遠く130kmも離れた水源からここまで
水道を引いたのだそうです。

2000年も昔にそんなことができたのか、
と純粋に驚きます。

いよいよ『ビュルサの丘』に着きました。

ほんとうに景色のきれいな所でした。
地中海を見おろし、湾の対岸に美しい山々を望みます。

ハンニバルも子供の頃に
この景色を見たのかなあと思いました。

カルタゴの建国にまつわる伝説もとても魅力的です。

カルタゴは、現在のレバノンの辺りに住んでいたフェニキア人たちがここに流れ着いて建設した都市国家です。
今から2800年も昔のこと。本国で内乱があり、
一部の人たちが国を脱出して地中海を西に進んで、新しく住む場所を探していたのだそうです。

その人たちのリーダーだったのが『エリッサ』という名のお姫様です。
彼女はここにたどり着いたとき、『私達に土地を与えてください』と地元の人にお願いしたそうです。
すると地元の人から、『牛の皮1枚ぶんの土地ならあげてもいい』という答えが返ってきました。
もちろん牛の皮1枚の土地に町など作れるわけがありませんが、彼女はとても頭の良い人でした。
1枚の牛の皮を細く切ってつなげて長いヒモを作り、それで丘をひとつ囲んだのだそうです。

こうしてフェニキア人の人たちは丘を一つもらうことができ、ここに都市国家カルタゴを建設しました。
『ビュルサの丘』のビュルサとは『牛の皮』という意味で、カルタゴとはフェニキアの言葉で『新しい町』という意味だそうです。

フェニキア人は海洋民族だったので、地中海を自由自在に旅して貿易を行い、富を築いたそうです。
いろんな民族を相手に商売をしていたので、だれでも読み書きができる分かりやすい文字を発明しました。
それが、こんにち僕たちが使っているアルファベットの原形になりました。

それに『星座』の起源についても、
古代メソポタミアの人々が作ったものがギリシャに伝わり体系化されたというのが定説ですが、
その『星座』というものをメソポタミアからギリシャに伝えたのもフェニキア人だと言われています。

そういういろんなことがありまして、フェニキア人という古代民族には、僕は大きなシンパシーと憧れを抱いています。
ここに立ったときは、感無量でした。
 

カルタゴに残っているのは、ほとんどが
後からやって来たローマ人が建設したものです。

ローマ人はカルタゴを徹底的に破壊して、
その上に自分たちの町を作りました。

そんな中で、この一角はそれ以前の
『本当のカルタゴ』の遺構だそうです。
感激して時間の許す限りここにいました。

カルタゴの人々の日常が、
目の前に蘇ってくるような気がしました。

ビュルサの丘にいた時間は、ほんとうに素晴らしいものでした。
陽が傾いて、遺跡の石柱が赤く輝き、地面に長い影を落としていました。
静かに吹きつける西からの風が、カルタゴの栄枯盛衰を歌っているようでした。

僕はこのときの印象で、帰ってからピアノ曲を作りました。
『海風の追奏』っていうタイトルで、東京の御茶ノ水のコンサートで一度だけ演奏したことがあるのですが、
そのうちアクアマリンの新しいCDに収録できるといいなあと、思っています。
 

これは『アントニヌスの共同浴場』。
ローマ人が作った大浴場の遺跡です。

カルタゴっていうと、
たいていこの遺跡の写真が載っています。

ローマ帝国の人たちはお風呂が大好きで、
どこの町にも立派な共同浴場があったそうです。

これはカルタゴ時代の軍港の跡です。

カルタゴは強大な海軍の国で、
地中海の各地に植民地を作っていました。

英雄ハンニバルも、有名なアルプス越えを
植民地だったスペインからスタートさせています。

ここで1日目は終わりました。

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