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ブエノスアイレス BUENOS AIRES

イグアスの滝から夜行バスでブエノスアイレスに着いた日、僕の体調は最悪でした!

本当ならばブエノスアイレス到着というのは、
『エクアドルから陸路の乗り物だけを乗り継いで南米大陸を半周する』という
3ヶ月の壮大な旅の『感動的なゴール』になるはずだったのです(笑)。

しかし僕はバスを降りた瞬間、これまで体験したことの無いような猛烈な吐き気と頭痛に襲われ、
バスターミナルのベンチに座ったまま、死んだように動けなくなってしまいました。
何が原因なのかは今でも分かりませんが、怪しいのはバスに乗る直前にイグアスのレストランで食べた
野菜炒めのような料理です(サチコネエサンは別の料理を注文したので、食べたのは僕だけです)。

もう本当に苦しくて、10分おきにトイレに行って吐き続けました(お食事中の方ゴメンナサイ)。

それでも全く良くなる兆しがなかったので、ついにサチコネエサンが、
『このままバスターミナルで吐き続けてもラチがあかない。
とりあえず宿を探して、ちゃんとベッドで寝たほうがいいよ。』と言い出して、
観光案内所でフリーペーパーを集めて宿探しを始めました。

『ホラ!行くよ!』というサチコネエサンに僕はモウロウとしながらついてきました。

サチコネエサンはスペイン語が話せないのに、一人でタクシーをつかまえに行き、
運転手さんに連れが別の場所にいることを伝えて僕をピックアップし、宿の住所を告げ、運賃を払い、
宿のフロントで空き部屋があるか尋ね、料金を確認し、宿泊の申込みをして、チェックインをしました。

僕は、その間のことはオボロゲに覚えているのですが、
スペイン語を話せないサチコネエサンがどうしてそんなことを手際よく完璧にできたのか、今でもスゴイナーと思っています。
とにかく僕は、気がついたら宿のベッドに寝ていました。お陰で半日寝たらだいぶ良くなりました。
 

ブエノスアイレスはタンゴの街。

繁華街の街角では、ストリート・ダンサーたちが
哀愁に満ちた音楽をかけて、
官能的なタンゴを踊っていました。
カッコイイです!!

ブエノスアイレスで1週間滞在した
ユースホステルのリビング。
新しくて、スタイリッシュな雰囲気です。
場所は、一番上の写真↑のオベリスコ
(白くて細長いタワー)のすぐそばです。

客室は、個室を使わせてもらうことができました。
部屋は安いのに広くて、
とてもきれいで明るくて快適でした!

ブエノスアイレスに滞在中は、
次に行くアフリカの予習をしました。
ガイドブックを読んで大まかな計画を立て、
宿をインターネットで予約したりしました。

ところで、ブエノスアイレスでの1週間ほどの滞在で、もっともエキサイティングだったのが、サッカー観戦です!

僕たちはサッカーにはとても疎いのですが、アルゼンチンが世界有数のサッカー強豪国である事くらいは知っています。
ワールドカップで世界一になったことも、マラドーナという伝説的な選手の存在も一応は知っていました。

僕たちは、せっかくアルゼンチンに来たのだから、本場のサッカーをぜひ見たいと思いました。

そしてタイムリーなことに、アルゼンチンで最も人気の対戦カード、『ボカ・ジュニアーズ対リーベル・プレート』の試合が、
ブエノスアイレス滞在中に行なわれることが分かったのです。

『ボカ・ジュニアーズ』と『リーベル・プレート』は、両方とも首都ブエノスアイレスに本拠地を置くチームで、
アルゼンチンのサッカーファンの人気を二分する両雄だということでした。
現地の旅行会社の人に、さりげなく聞いてみたら、
『そりゃもう、プラチナ・チケットですよ。ひとり3万円出しても、チケットは入手できないでしょうね』
などと言われてしまいました。

『アルゼンチン国民の40%がボカ・ジュニアーズのファンで、30%がリーベル・プレートのファンだと言われています。
その両者の対戦は、スーペル・クラシコ(英語のスーパー・クラシック)と呼ばれ、国民的なイベントです。』とも言っていました。

が、しかし、その試合のチケットを僕たちは入手できてしまったのです!!

泊まっていたユースホステルのフロントに、『ボカvsリーベルの観戦ツアー参加者募集中』と書いてありました。
料金も、旅行会社の人が言っていた3万円などという金額ではなく、1ケタ安い金額です。
僕たちは目を疑って、『ねえ、これ、ほんと?? まだ空きがあるの??』と聞いたら『うん、まだ募集中よ。』と言うので、
その場で申し込んでしまいました。
 

これが、僕たちがサッカー観戦をした
ボカ・ジュニアーズ・スタジアムです。

地鳴りのような大歓声。
先制点は開始直後、我らがボカでした。
5万人が飛び跳ねると、
スタジアムが本当に、揺れます。
僕は、一生この日のことを忘れません。
地球っていうのは、巨大なサッカーボールなのです。

結果は、1−1の引分けでした。
すごく良い試合でした。

結果的に僕たちは、この試合を観戦できましたが、ワールドカップなどと同じように怪しい観戦ツアーも多かったみたいです。

宿で一緒になったブラジル人の青年は、サンパウロからわざわざこの一戦を観戦に来たのに、
お金を払ったものの業者からチケットをもらえず、ついにスタジアムに入れなかったそうです。
『警察に訴えてやる!!』と、すごい剣幕でした。

かくいう僕たちもチケットは最後までもらえず、フーリガンみたいな熱狂的なファンが殺到する入場ゲートで、
ツアー会社の人に『今だ、みんな入れ!早く!』と言われて、訳も分からぬまま、
圧死しそうになりながら人ごみをかき分けてスタジアムに入りました。かなり危険を感じました〜。
 

ブエノスアイレス市立のプラネタリウムを
見に行きました!
2007年4月21日の一般上映の番組は
『太陽の誕生と死』というタイトルでした。

演出が非常に芸術的で感銘を受けました!
暗闇でマッチを擦る映像に、宇宙に太陽が
誕生する瞬間がオーバーラップして物語が
始まるのです。

ベートーベンの交響曲『運命』の第2楽章が
重要な場面で何度も使われていました。
音楽の使い方も素晴らしかったです。

観光名所のレコレータ墓地に行きました。
多くの歴代大統領も眠る由緒ある墓地。
一つ一つの納骨堂はとても立派で、
お墓というよりもお屋敷です。

アルゼンチンの最も有名なヒロイン・
エビータさんのお墓もここにあり、
僕たちもお花を買って謹んで捧げました。

エビータさんは、
貧しい少女時代ののち女優になり、
ついに大統領夫人となった人で、
いまもアルゼンチンの誇りです。
様々な社会貢献活動を行ないましたが
33歳という若さで亡くなりました。

ボカ地区に出かけました。

カラフルな建物がならび、明るい雰囲気です。

ボカ地区はアルゼンチンタンゴの発祥の地。
『ボカ』とはスペイン語で『口』という意味。
転じて『河口』を指します。
ヨーロッパとアルゼンチンを結ぶ港があり、
労働者や船乗りが入り浸る酒場で生まれた
音楽と踊りがタンゴだったのです。

街角のカフェではミュージシャンによる
生演奏があります。
あの四角い楽器はバンドネオン。
演奏者のオジサンとたくさん話をしました(笑)!

ブエノスアイレスでは、1週間の滞在の間にサッカー観戦を2回できたし、プラネタリウムにも2回行けました。
そして、本場のタンゴ・ショーも見ることができました。
立派なレストランでディナーを頂いた後に、劇場でタンゴ・ショーを見るツアーに参加したのです。これもとても良かったです。

このブエノスアイレスで、ちょうど100日間の南米旅行はおしまいです。
エクアドルから始まった、南米大陸を半周する旅はここに終わりました。
僕たちは、南米で体験したたくさんの素晴らしい出来事を回想し、これから旅するアフリカに思いを馳せていました。

ここからいよいよアフリカに向います。大西洋を横断し、南アフリカ共和国のケープタウンに飛びます。

国際中央郵便局に行き、日本に荷物を送りました。南米で買ったオミヤゲ、観光地のパンフレット、
もう使わない南米のガイドブックをまとめて日本に送って荷物を軽くしました。

南米大陸に着いてからちょうど100日目。
ついにブエノスアイレスを去る日が来ました。

運河沿いのカフェで、南米に感謝の乾杯です!

アフリカはどんな所かな???

新婚旅行記の第2部はおしまいです。
長文におつきあい頂きありがとうございました。
第3部ではアフリカ・ヨーロッパに参ります。

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