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ACROSS THE NULLARBOR
ナラボー平原はオーストラリア南部にあり、その広大さと厳しい自然条件によってオーストラリアの東西を分断しています。

西のノースマンと東のセデューナの、1200kmの間には町が一つもありません。
1本の横断道路に沿って、
100〜200kmごとにロードハウスとよばれる、ガソリンスタンドとモーテルが一つになった建物が荒野にポツンとあるだけです。
それ以外は、ギラギラと太陽が照りつけるおよそ人間の気配のない灼熱の大地が延々と広がっています。

僕は、ノースマンからナラボーを1200km横切ってセデューナまで行きまた同じ道を帰ってきました。

ノースマンを出発して、
ついにナラボー平原に入りました!!

昔は殺人道路として恐れられ、
1976年にようやく全線が舗装されたという
ナラボー横断道路です。

とても緊張しましたが
ワクワクしてきて不思議な気分になりました。
ナラボー平原を旅することについては、あまりにも情報が無さ過ぎて、出発前に僕は本当に不安でいっぱいでした。
もしも車が故障したら、そのまま誰にも見つかることなく、水と食料が尽きて死んでしまう、、、くらいに思っていました。

しかし現地に行って、そんな僕の不安を一気に消し去ったのは
このナラボーを自転車で横断するサイクリストたちが少なからず存在する、という事実でした。

そんなに大勢はいないですけれど、
この過酷な大地を自分の体力で横断するという冒険にチャレンジする人は、時々いるそうで、
僕も実際に、この大地で数人のサイクリストに会って話しました。
それで、自転車で横断する人がいるのなら、車でなんて大したことはない、自分にもできるという気持ちになりました。

でも僕はナラボーに入る前に
5リットルの水を5個と、パンと缶詰とビールを1週間分くらい買い込みました。
これは僕にたいへん心のゆとりを与えましたし、
ナラボーのロードハウスはどこも物価が高いので異常に値段の高いサンドイッチを買ったりしないですみました。
ガソリンの値段も高く、パースの20〜50%増しでした。でもこれは理にかなった事です。

いろんな動物が出てきますので
みんなで気をつけましょう!

カンガルーにはいろんなところで会いました。

残念なことに
ロード・キル(車にひかれて死んでいる野生動物)
も無数に見ました。

ここは緊急時に道路が滑走路になります。

交通量は、やはりとてつもなく少ないですが、
一日に一台も通らないなんていう
何十年も前のようなことはありません。

これは『ロードトレイン(道の列車)』と呼ばれる
オーストラリアの田舎では
どこにでもたくさん走っているトレーラーです。

スゴイ迫力で走ってきますので
みんなで気をつけましょう!!

僕が3泊したナラボー・ロードハウス周辺は
完全に平らな360度の地平線に囲まれて
地球にこんな所があるんだなーと思いました。

こうした背の低い植物が
地平線の向こうまで生えています。

ユークラの白い砂丘。
天気が悪かったし、
ハエの大群に襲われてさんざんでした。

しかしユークラのロードハウスでは
たった25ドル(2000円)でシングルルームに
泊まれて、部屋も快適だったので良かったです。
(シャワーとトイレは別棟でした)

これは
西オーストラリア州(WA)と
南オーストラリア州(SA)の境界のモニュメントです。

州の境界では
小屋から政府の係員さんが登場して
車の中を調べられます。
野菜やフルーツや植物を持っていると
すごい罰金を取られるそうです。

ナラボー平原の東西では
2時間半の時差があります。
僕は時差にうまく対応できずに、ずっと
『いったいいま何時なんだ?!?!』という
状態に陥ってしまいました。

帰りに1泊したバラドニア・ロードハウスには
『博物館』があります。

展示してあるのは
1979年にこの地に墜落した米国NASAの宇宙船
「スカイラブ」に関する資料が中心です。
当時の新聞記事なども展示してあって
なかなか面白かったです。

バラバラになって落ちてゆく火の玉が目撃され
アメリカ政府が破片の回収に賞金をかけたので
周辺の人々は荒野にくりだし、
『ゴールドラッシュ以来の宝探しブーム』
になったそうです。

ノースマンの郊外にあるジンバラナ山です。
てっぺんまで登ると
塩湖や大平原を一望できて素晴らしい眺めでした。

平原に突然このような山がそびえているのは、
『残丘(ざんきゅう)』という地形です。
部分的に固い岩石があると、
雨風の侵食を逃れて、平原に丘が残るのです。

僕は辺りをくまなく歩いて、
周囲の平原を作っているのは
海に堆積した石灰岩で、
この山の岩石は、その石灰岩の中に、後になって
地下から昇ってきたマグマ固まった深成岩だと
つきとめました。
地元の丹沢山地にある石英閃緑岩に似ていました。

5泊6日かけてナラボー横断を往復し
またノースマンに帰ってきました。
再び町のゲートを通るときは
何か自分が素晴らしいことを
成し遂げたような気分になりました。

『We made it!!(僕たちはついにやったぞ)』
と叫んで、白い車と抱き合いました(笑)。

ナラボーの西側の入口・ノースマンは
人口数百人のチッポケな荒野の町です。

町の中心のラウンドアバウト
(オーストラリアによくある、信号の無い
円形の交差点)には、このラクダがいます。
ノースマンは、今回の旅行で本当に深く印象に残った町です。

ここには、ビンボー旅行者たちをまるで家族のように迎えてくれる暖かい人柄の夫婦がいました。

僕がいちばん最初に何も知らずにノースマンについた時、ガイドブックにいくつか載っていた宿の中から、
いちばん安そうなところを選んで行ってみました。

ふつうの家のような、小さなその宿から人のよさそうなおばさんが出てきて、
『ようこそ。いらっしゃい。』
と言ってくれて、なんかもうその時点で旅人をホッとさせる空気が漂っていました。
僕はあの時の、ものすごい暑さと眩しい芝生の色、そしてこのおばさんの優しい表情を鮮明に覚えています。

『この宿には、日本からの旅行者もよく来るわよ。』というので、ちょっと意外な気がして、
『本当ですか? こんな荒野の小さな町に?』というと、
中庭のソファーで、こうした宿にはありがちな、『旅人の自由帳』を見せてくれました。
そこには、自転車やオートバイでナラボー横断に挑んだ人たちの
活き活きとしたコメントが並んでいて、本当に日本語もたくさん書いてありました。

これからナラボーに入ってゆこうとする人の決意や、
横断を成し遂げた人の重みのある言葉、実際に行った者にしか分からない旅の情報、
いろんなことが書いてありましたが、
誰もが、『この宿は素晴らしい!! アランおじさん、アイリーンおばさんアリガトウ!!』と書いていました。

その夜の宿泊客は、僕と、仕事で滞在する鉱山技師の2人きりだったので、
星の見える素敵な中庭で、アランおじさんやアイリーンおばさんといろんな話をしました。
二人とも、家族のように僕に接してくれました。
僕はオーストラリアに来て初めて、自分がこれまで一人ぼっちで旅してきたことを実感しました。

『僕は明日からナラボーへ行きます。バンダクリフが見たいんです。』というと
『そうか、それじゃあ気をつけてな。楽しんでくるんだぞ。』と送り出してくれました。

ナラボー平原の反対側まで行って、一週間後にまたノースマンに帰ってきたとき、僕はまたこの宿に泊まりました。
アイリーンおばさんは僕のことを覚えていてくれて、手を握って再会を喜んでくれました。
アランおじさんは、『よく戻ったな。いろいろ見てきたかい。』といって
町でたった1軒というパブに連れて行ってくれて、ビールをおごってくれました。

僕は、どうしようもないくらい何も無い荒野の小さな街で宝物を見つけた気持ちになって感激してしまったので、
車からギターを持ってきて、
『これは僕が作った、再会を願う歌です。』といって
星の見える中庭で、「いざよい」という歌を歌いました。

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