プンタ・アレナス PUNTA ARENAS |
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この写真は南米大陸最南端の町、プンタ・アレナスの街並みです。
遠くに見える海はマゼラン海峡。その向こうには、フエゴ島が横たわっているのが見えます。
スペイン語でプンタ(punta)は、英語のポイント(point)に相当する単語で『先端』という意味です。
アレナ(arena)は英語のアリーナ(arena)と一緒で、砂とか地面という意味です。
プンタアレナスとは文字通り、『地の果て』という意味の名前の町なのです。
大航海時代から、太平洋と大西洋を行き来する船は全て、このマゼラン海峡を通らなければなりませんでした。
そのためプンタアレナスは、世界中からの船の寄港地として栄華を誇ります。
しかし、1914年にパナマ運河が開通してからは、ここを通る船はほとんど無くなり、
ふたたび世界の果ての淋しい港町に戻ったのです。
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プエルト・モンからプンタアレナスへの
バスの旅は30時間。
今回の旅でもっとも長い乗車時間となりました。
でもバスの座席は快適です!
グッスリ眠れます。
車内では、ヒメナちゃんという小学生の
元気な女の子と親しくなりました。
最初は大人しかったのに、
だんだん暴力的になってきて、
30時間ずっと彼女に叩かれたり、
引っ張られたりしていました(笑)。 |
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30時間の行程のおよそ9割は
アルゼンチン領を走ります。
パタゴニアのチリ側の海岸線は、
氷河や険しいフィヨルドで道路が無いためです。
プエルトモンを出発したバスはすぐに
アンデス山脈を越えてアルゼンチンに入り、
大草原を延々と走った後プンタアレナスの
手前で再びチリに入ります。
国境では乗客が全員バスから降ろされ、
パスポートチェックと出入国の手続きがあります。 |
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2007年3月11日。
ついに僕たちはプンタアレナスに来ました。
赤道直下のエクアドルから旅を始めて約2ヶ月。
バスや鉄道など、
地を這う陸路の乗り物だけをひたすら乗り継いで、
南米大陸の最南端にたどりついたのです。
マゼラン海峡に手を浸しました。
一瞬で凍りそうなほど冷たかったです。
でも僕は感慨で胸がいっぱいになり、
いつまでも手を海水に浸していました。 |
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町のバーに入り、
ここまでたどり着けたことを祝って
地ビールで乾杯しました。
最高に美味しかったです! |
プンタアレナスでマゼラン海峡に手を浸すことは、この旅の大きな目的の一つでした。
僕は、自分がいつかこの場所に立ちたいと思った瞬間のことを、今でもハッキリと覚えています。
今から何年も前のこと。たしか日曜日です。
ライブが終わって深夜に帰ってきた僕は、眠ろうとしても目が冴えてなかなか寝付けずに、
フトンをかぶってワインを飲みながら酔っ払って深夜テレビを見ていました。
未明の時間帯になり、民放チャンネルは放送が終了してしまって、
NHKだけが世界の美しい風景の映像を垂れ流しにしています。
そこに、南米大陸の最南端にあるという、プンタアレーナスとかいう町の風景が映りました。
ナレーションが静かに語ります。
パタゴニアでは一年じゅう南極からの冷たい風が吹き荒れているが、
そこに住んでいる人たちは慣れっこになってしまっているので、
体ごと吹き飛ばされそうな強風の中でも平然と散歩を楽しむのだ、と。
テレビの中では、モウモウと土ぼこりをあげて吹き荒れる冷たそうな風の中を、町の人たちが平然と歩いていました。
いろんなものが風に飛ばされているのに、みんな平気な顔をしています。
僕はその映像をなんとなく眺めながら、
『へえ、、、世界の果てにはこんな所があるのか、、、よし、、、いつか必ず、ここへ行こう!』
と、漠然と決心しました(笑)。
僕の南米への憧れはそこから始まったのです。スペイン語の勉強もその頃に始めました。
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プンタアレナスに着いた日の翌日。
せっかくここまで来たのだから
できる限りもっと南に行ってやろうと思い
郊外を巡るツアーに参加しました。
といっても客は僕たち2人だけ。
ガイド兼運転手のジェイミーさんと3人だけで出発です。
マゼラン海峡を左手に見ながら
どんどん南へ走っていきます。 |
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マゼラン海峡の南端につくられたブルネス要塞。
ほとんどが復元だそうですが、
当時の大砲なども残っています。
この辺の景色もとても美しかったです。 |
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看板にはこう書いてあります。
『サンタ・アナ岬。
南緯53度38分15秒、西経70度54分38秒。
ここはアメリカ大陸の先端。
このマゼラン海峡は、ヘルナンド・マゼランによって
1520年11月1日に発見された。』
この南緯53度38分15秒という緯度が、
僕たちの人生の最南端です。 |
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最南端で記念撮影。
これはほんとうに意味のある写真です。
撮ってくれたガイドのジェイミーさんありがとう!!
車で来られるのはここまでですが、
『ここから3日間歩けば、本当の南米大陸
最南端の岬に着ける』とジェイミーさんが言いました(笑)。
確かに地図を見ると、ここより南があります。 |
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ガイドのジェイミーさんが、カラファテの実を見つけて
僕たちに食べさせてくれました。
『カラファテの実を食べた者は、
再びパタゴニアに帰ってくるという言い伝えがあるんだ。
君はいつかまた、ここに戻ってくるだろう。』
と言いました。 |
この半日ツアーの参加者は僕たち2人だけだったので、ガイドのジェイミーさんとは本当にたくさん話をしました。
彼の英語は、僕たちよりもヘタでした。『have』の過去形を『haved』というような人でしたが、
一生懸命、世界の果ての風景を説明してくれました。
そして僕のスペイン語もまた、同じようなレベルだったと思います。僕もスペイン語で一生懸命話しました。
ジェイミーさんとの出会いは、世界旅行のたくさんの素晴らしい出会いの中でも特別なものです。
それは彼が、僕が住んでいる場所から最も遠い町に住む人だからです。
僕がスペイン語を勉強した一番の動機は、
『この地球上で、自分から最も遠い場所に暮らす人たちと話をしてみたい』というものでした。
独学でしたが、何年間も一日もサボることなく勉強を続けられたのはこの想いがあったからです。
ジェイミーさんが僕に、『君はなぜパタゴニアに来たいと思ったのだ。』と聞くので、
僕は『地球上で、ここが僕の国の「フスタメンテ・オプエスト・ラド(ちょうど反対側)」だからだ』と答えました。
すると彼は『ああ! オプエスト・ラド(地球の反対側)か! ほんとうに、その通りだな。』と言って笑いました。
そして僕は彼に言いました。
『地球は、自然は、美しいですよねえ。』
すると彼も、
『そうだ、地球も自然も美しいものだ。』と言いました。
よく、世界一周をして心境や価値観の変化があったかと聞かれるのですが、
それについては僕はひとつハッキリ言えることがあります。
僕は、地球上でいちばん遠い場所に暮らしている人と、自分の言葉で話をしてきました。
そして、短いけれども同じ時間を過ごし、同じ景色を見て、地球と自然が美しいという同じ思いを共有することができました。
地球でいちばん遠い人と理解しあうことができたのだから、
この地球に暮らす何十億の人たちともきっと思いを共有し、分かり合うことができるはずだ、と信じられる拠り所が、
今の僕の心の中にはあるのです。
それは、僕が世界にいちばん強く求めていたものでした。
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などというカタイ話はどうでもいいとして、
午後にはペンギンの営巣地を見学する
ツアーに参加しました。
こちらは、いろんな国からの観光客と一緒でした。
町の郊外のオトウェイ湾の海岸に たくさんのペンギンがいました! |
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ここにいるペンギンは、
マゼランペンギンという種類だそうです。 |
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3日間滞在したプンタアレナスに別れを告げて、
ここからは北へ向います。
キラキラ光るマゼラン海峡があまりにも美しくて、
いろんなことを思い出して涙が溢れてきました〜。
さようなら!最南端の町。
次の目的地は、アルゼンチンの氷河国立公園です! |