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チチカカ湖  LAGO TITICACA
この写真は、僕がとても気に入っている写真です。
なぜかというと、『標高3800mの水平線』が写っているからです。

ペルーとボリビアの国境にあるチチカカ湖は、標高3800mという、富士山の山頂よりも標高の高い所に広がる湖で、
面積が琵琶湖の12倍もあります。
船の上からこの水平線を見たとき、僕は心から『地球ってすごいなー』と感激しました。
これまでたくさんの水平線を見てきましたが、これはほんとうに特別な水平線の景色です。

チチカカ湖では、プーノの町から1泊2日で湖上の島々を巡るツアーに参加しました。
プーノの町なかには、そうしたツアーを行なっている旅行会社がたくさんあります。
旅行会社の人の説明では、チチカカ湖に浮かぶウロス島、アマンタニ島、タキーレ島という3つの島を訪れ、
宿泊はアマンタニ島の民家にホームステイさせてもらうのだ、とのことでした。

ガイドブックには、島に住むインディヘナ(地元民族)の人々は電気も水道もない暮らしをしていると書いてあったので、
そんな所に泊まったら夜は素晴らしい星空が見られるだろうなあと、期待がふくらんできました。
 

ツアーではまずウロス島に寄りました。

ウロス島は地面が葦でできた浮島です。
浮島の上に葦を編んで家を建て、
人々はそこに住んでいるのです。

子供の頃に
『なるほど・ザ・ワールド!』でウロス島のことを知り、
世の中にはスゴイものがあるんだなー
などと思ったものですが、
ついにその葦の浮島の上に立ちました!

ウロス島からさらに船で3時間、
僕たちが今晩宿泊するアマンタニ島が
姿を現しました。

アマンタニ島はほんとうに美しい島でした。

真っ青なチチカカ湖に囲まれて、
平和な時間がノンビリと流れていました。

島巡りツアーの観光客は30〜40人くらいでした。
いろいろな国からの観光客がいましたが、日本人の割合がけっこう多く、ツアーの中に僕たちを含めて8人くらいいました。

アマンタニ島に船が着くと、ツアー客は数人ずつのグループに分けられ、
今晩泊めていただくホストファミリーの人たちと対面します。
僕たちは、日本人のイズミさんという20代後半くらいの一人旅の女性と同じグループになり、
3人でアグスティンさんという方の家に泊めてもらうことになりました。

港で船の到着を待っていたインディヘナの男の人たちは、みんな黒い立派な帽子をかぶり、
女性は鮮やかな原色の服を着ています。それが真っ青なチチカカ湖と空に映えるのです。

『では皆さん、これからそれぞれの家に行ってお昼を食べたら、山の上の運動場に集合して下さい』とガイドさんが言うと、
ツアー客はそれぞれの家に向って散ってゆきました。

港から15分ほど歩いてアグスティンさんの家に着くと、家族の人たちと会い、お互いに自己紹介をしました。
アグスティンさんの奥さんはフリアさん、15歳の娘はエステルさんです。
彼らが話すのはインディヘナの人々の言葉ですが、エステルさんは学校でスペイン語を習っているということで、
彼女にいろいろと通訳をしてもらいました。
 

これが、僕たちが泊めていただいた
アグスティンさんのおうちです。

3つの部分に分かれていて、
いちばん右が羊小屋、真ん中がキッチンとダイニング。
左側の2階の部屋が僕たちが泊まった客室です。
ベッドが3つありました。

トイレは、この畑の隅にあります。
大きな桶に水が溜めてあって、自分で流します。

夕方になり、
ツアー客は山の上の運動場に集まりました。
ここでみんなでサッカーをやりましたが、
標高4000mとかなので、
みんなここまで登って来ただけで息が切れ、
力尽きています。

僕たちは観客席に座って見ているだけでした。

ガイドさんはあの尖った山を指差し、
『ではこれからみんなであの山に登ります』
と言いました!!

島の頂上を目指して、みんなで登山です。
登山嫌いのサチコネエサンも
がんばって登りました!!

薄い空気の中、一歩一歩登っていくと
チチカカ湖の素晴らしいパノラマが
眼下に広がってきました。

頂上に着きました!
すごく寒いです!

チチカカ湖に沈む夕陽はたとえようもなく美しく、
ずっと見とれてしまいました。

島の頂上の標高は4130mだそうです。

これが晩ご飯です。
野菜を煮込んだシチューのような料理でした。
ジャガイモ美味しかった!

島には電気が無いので、ローソクの灯で頂きます。

お昼にはキヌア(アンデス地方の穀物)
のスープがでました。

登山から帰ると、アグスティンさんが部屋に晩ご飯を運んでくれました。

僕はこの晩ご飯と、アマンタニ島で過ごした一夜のことを一生忘れないと思います。
アグスティンさん一家が僕たちに出してくれた食事はどれも、とても暖かく、優しい味で、
上手くいえないけれど『温もり』のようなものにあふれていました。
ユラユラと揺れるローソクの灯でご飯を頂きながら、涙がでるくらい幸せな気持ちになりました。
そして、日本での僕たちのライフスタイルを思い返して、いろんなことを考えました。
 

晩ご飯の後は、
村の公民館でダンスパーティーが開かれました。

ツアー客はそれぞれの家で民族衣装に着替えて
公民館に集まってきます。

ここにだけは電気があって、
天井には蛍光灯がついていました。

フォルクローレの演奏に合わせて、
村の人達もツアー客もみんなで夜中まで踊って
楽しかったです!

家から公民館のダンスパーティへは、娘のエステルさんが連れて行ってくれました。

島の女の子たちにとって、このダンスパーティは別の意味で大きな楽しみなようでした。
家に泊まりに来たツアー客を公民館に連れてきて、僕らがダンスに興じているあいだは、
彼女たちにとっては公然と深夜まで外出し、友達とおしゃべりができる楽しい時間なのです。

ですので、僕たちが
『もうじゅうぶん楽しみました。そろそろ帰ろうよ。』と言ったとき、
彼女は『え〜、もう帰るの〜。』と名残惜しそうにしていました。
『僕たちは朝から船酔いと戦って、山に登って、踊ったので死ぬほど疲れたよ。』
というと、彼女はクラスメートたちに別れを告げて、僕たちを家まで連れて行ってくれました。

その帰り道に見た星空は、ほんとうに素晴らしかったです!!
街灯も、家の灯すら無い真っ暗な道を、彼女は足早に歩いて行きます。
僕たちは懐中電灯で足元を照らしながら、『待って〜』とか言いながらついていきます。

ふと見上げると、満天の星空が輝いて、天の川のアーチが空にかかっていました。
カノープスやシリウスが空高く輝き、南十字星も昇っています。日本人3人組は『ヒョエ〜!』と感嘆の声を上げました。
イズミさんは、南十字星を初めて見たと言っていました。

家に帰って皆が寝静まってからも僕は一人で庭に出て、ずっと天の川を見上げて幸せな気分に浸っていました。
強い夜風がユーカリの木を揺らし、ザワザワと葉が音をたてていました。
旅行から帰ってきて、風に木がざわめく音を聴くと、今でもあのアマンタニ島の一夜を思い出します。
 

客室には『旅人の自由帳』が置いてありましたので
僕たちも書きました。

『2007年2月10日。
アグスティンさん、フリアさん、エステルさん。
僕たちはアマンタニ島の一夜をとても楽しみました。
清潔な部屋、おいしいごはんをありがとうございました。
皆さんの思い出は
永遠に僕達の心に生き続けるでしょう。』
と書きました。

文法のマチガイなどはこのさい気にしないで下さい(笑)

翌日はアマンタニ島を出発し、
となりのタキーレ島をハイキングしました。

タキーレ島もほんとうに景色の美しい島でした。

ふたたびプーノへ帰ります。
1泊2日だけどいろんな思い出ができました!

この写真は、ツアーで一緒だった
日本人のゲン君という人に撮ってもらいました。

彼女さんと二人で、
大学生同士のカップルで南米旅行だそうですよ。
今どきの若い人の行動力はスゴイナーと思いました。

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