ヨハネスブルグ JOHANNESBURG |
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これは、飛行機から見たヨハネスブルグの街並みです。
ビクトリアの滝やチョベ国立公園を見た僕たちは、
南アフリカ共和国で最大の都市・ヨハネスブルグ(英語の発音ではジョハネスバーグ)にやってきました。
ヨハネスブルグは、『世界で最も犯罪の多い街』とか、『世界で最も危険な街』と言われています。
とにかく治安に関しては評判が最悪なので、ここにだけは行きたくありませんでした。
ガイドブックやインターネットをあたれば、昼間に街を歩いているだけで強盗に遭うとか、
そばに人が大勢いても誰も助けてくれないとか、恐ろしい話がいくらでも出ています。
しかし僕たちが使った世界一周航空券では、次の目的地であるヨーロッパへ行くには、
どうしてもヨハネスブルグから飛行機に乗らないといけなくて、仕方なく数日滞在することになりました。
空港に着いた僕たちは、市内に行くタクシーを拾います。しかしここから危険は始まっています。
強盗タクシーの被害がとても多いのだそうです。ここは本当に気を付けないといけません。
到着ゲートを出ると、さっそく男の人が近づいてきて『タクシーに乗るんだろ、オレの車に乗りなよ』と声をかけてきました。
彼について行くわけにはいきません。
僕たちは早足で歩いて、『インフォメーション・デスク』にまっすぐ行きました。それでも彼はついてきます。
インフォメーション・デスクには空港の係員と、お巡りさんがいました。
そこで、『市内までタクシーで行きたいのですが、、、』と言いました。
係員さんは『怪しいタクシーには絶対乗っちゃダメよ。
正規のタクシーの運転手は、必ずIDを身に付けているから、、、』と言いながら、
僕たちの後をついてきた運転手に目をやり、『ああ、彼なら大丈夫よ。IDを持っているわ。』と言いました。
空港職員とお巡りさんのお墨付きをもらったので、やっと僕たちは安心して、彼のクルマに乗ってホテルに行きました。
人をむやみに疑うのは良くありませんが、これは絶対に必要なプロセスです。
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僕たちが泊まったサントン地区にある
ネルソン・マンデラ広場。
ここにはたくさんのレストラン、
大きなショッピングモール、
スーパーマーケットが集まっています。
サントン地区は比較的治安が良いということなので、
この地区の宿を予約しました。
あの巨大な像は、アパルトヘイトの廃止に尽力した
ネルソン・マンデラ元大統領です。 |
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ヨハネスブルグだけは、
フンパツしてセキュリティのしっかりした
安全な宿に泊まろうと決めていました。
かといって、ヒルトン・ホテルのような
高級ホテルに泊まるお金はありません。
ネルソン・マンデラ広場から歩いて10分ほどの
(この10分を歩く間もヒヤヒヤしていましたが)、
ペンバリー・プラザ・ホテルに泊まりました。
比較的リーズナブルな料金で、
広〜〜いスイート・ルームです。 |
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宿泊費をフンパツしたので、食費を削らないと!
おコメを買って、電気ナベで炊いて、
スーパーで買ってきたハムとかサラダをおかずにして
食べてました。
すっごく美味しかったです! |
ヨハネスブルグにはあまり長居をしたくなくて、さっさとヨーロッパへ行きたいと考えていました。
そこで、航空会社にかけあって、オランダ行きの飛行機の予約を変更してもらい、日にちを早めてもらいました。
それでも4日間滞在することになったので、市内観光の日帰りツアーに参加することにしました。
ガイドブックの情報や、ホテルの人に聞いた話では、旅行会社のツアーに参加すればとくに危険はないだろうとのことでした。
僕たちは、『ソウェト』を訪れるツアーに参加しました。
ソウェト(SOWETO)とは、サウス・ウェスト・タウンシップ(South West Township)の略です。
以前、この南アフリカ共和国ではアパルトヘイトという人種隔離政策がとられており、
さまざまな人種差別が法律によって定められていました。
黒人の人々は、市街地から郊外に移住させられ、そこにまとめて住まわされました。
人種隔離政策が廃止された今でも、多くの黒人の人たちはいろいろな理由からそこに暮らしているそうです。
そういった地区でも最大のものがソウェトなのだそうです。
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ソウェト地区に向かう途中、
世界で最も治安が悪いと言われるダウンタウンを
通りました。
ここは、ほんとうに、『これはマズイ』と
心の底から思うような場所でした。
ツアーのマイクロバスの運転手さんは、
信号待ちで停まっているときでも必ずアクセルをふかし、
クラッチを切った状態で、
何かあったらすぐに急発進できるようにしていました。 |
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ダウンタウンには、人種隔離政策の名残がありました。
お店の看板の上には、
『有色人種用の店』という表示が残っています。
肌の色によって、入ってよいお店と、
入ってはいけないお店が分けられていたのです。 |
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これがソウェト地区の風景です。
子供たちは、みんなとても無邪気で
笑顔に溢れていました。
この日の体験と思い出は、
僕にとってはとても大切なものです。
これから先、僕が歌を作るとき、
コンサートで皆さまに何かを話すとき、
きっとこの日のことが、
ほんの微かにその中に入っているのだと思います。
ここで買った(買わされた)、
ソウェトの工芸家が作ったカバの石の置物は、
今も新居の玄関に飾ってあります。 |
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ソウェト地区にある、『ヘクター・ピーターソン博物館』。
ヘクター・ピーターソンとは、
警官に射殺された13歳の少年の名前です。
1976年6月16日、人種差別に抗議して立ち上がった
ソウェトの黒人たちに対し、警官隊が発砲し、
700人が命を落としたそうです。
その最初の犠牲者が、
ヘクター・ピーターソンさんだったのです。
この博物館の展示は、
言葉では言い表せないほど重いものです。
僕たちは何度も、
人間というものに悲しくなって泣きました。 |
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博物館の前には、
ヘクター・ピーターソンさんの記念碑があります。
碑文には、
『自由と民主主義のための闘争に命を捧げた
若者達の名誉のために』と刻まれていました。 |
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さて、早いものでアフリカはおしまいです!
南米には3ヶ月以上いたのに、アフリカは2週間でした!
(もともと南米がメインだったので、、、)
訪れた国も、南ア共和国、ジンバブエ、
ボツワナの3カ国だけです。
でもいつか、またアフリカに来たいです!
ヨハネスブルグから、
オランダの首都アムステルダムに飛びます。
次はヨーロッパに行きます! |